無産政党とは?わかりやすく解説 治安維持法改正と田中義一内閣

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愛というのは合理性を越えてしまうことだ。

合理的に考えたら、今回扱う時代に社会主義思想を信じるというのはとても誤った行為だ。

 

とても危険だし、自己を犠牲にしてまでやり抜かなければならないことはあるのだろうか。

目の前に広がる自然やあまり高等な機能をもっていない動物はそのようには行動しない。

ある決められた規則にしたがって反応的に行為するのみだ。

 

しかし、人間にはそれができないときがある。

ある行為が合理的な視点からは誤った行為であっても、自らその行為を選択してしまうことがある。

 

そういった行為が美しくあらわれたとき、人は愛というものを感じるのだろう。

 

 

無産政党とは?意味もわかりやすく

 

これから無産政党とはどんなもので、治安維持法改正とはどんなものかをみていくわけだけど、

この二つの言葉と深く関わっている総理大臣が、

田中義一(たなかぎいち)!!!

 

田中義一内閣(たなかぎいちないかく)

は1927年にモラトリアムを実施することで関東大震災後の金融恐慌を終わらせた内閣だったね(ここで詳しくやったよ)!!

 

 

モラトリアムが実施された次の年、つまり1928年は日本史にとってとても重要な年なんだ。

 

まず手始めに第一回普通選挙が行われたよ。

普通選挙法は加藤高明内閣が1925年に制定したんだった(ここで詳しくやったよ)。

 

1928年の普通選挙は普通選挙法のあとの初めての普通選挙だね。

 

有権者は前回の選挙の4倍!

なんといっても納税額に関係なく25歳以上の男性に選挙権が与えられたのだから、有権者の人数がとても多くなったね。

 

 

ところでいままでに選挙権をもっていない人たちが投票をできるようになるわけだから、当然これまでは選ばれなかったような人たちが選挙で選ばれるようになっていくんだ。

 

 

 

この第一回普通選挙で衝撃を与えたのは

無産政党(むさんせいとう)

の人たちから8名衆議院議員が選ばれたこと!

 

無産政党の意味ってわからなくなっちゃうんだけど、

何個かある社会主義の政党をまとめて無産政党(むさんせいとう)と呼んでいると覚えておこう!

 

社会主義というのは労働者が日頃の鍛錬によって資本家を上回るようになって、資本家による政治ではなく、

労働者による政治が誕生するという思想(ここで詳しく説明したよ)。

 

だから無産政党を支持する人たちには労働者が多い。

とはいっても、この時代の日本では、社会主義は単に「労働者の労働環を改善しよう!」という考えの受け皿になっているだけという面もあった。

 

普通選挙法が制定されるまでは納税額によって選挙権を得られるか得られないかが決まっていた。

だから、政府はいわゆる金持ち(資本家)の顔色をうかがいながら政治をしなければならなかった。

 

いまでは「労働者の労働環境改善」というのはどこの政党でも考えられているけれども、当時は社会主義の政党でしか労働者の要望に応えながら議論されることがなかったんだ。

 

もちろん政府は労働環境の改善をしなければならないことは認識していたんだ。

でもそれが社会主義と結びついてしまっては話しは別。

 

労働者によって国が運営されるわけだから、天皇制が批判される恐れがある。

さらに社会主義では資本家のように生まれながらの金持ちをなくすために、私有財産権を否定するんだ。

資産家の財産を取り上げてみんなに平等に分配すれば不平等な社会はなくなるからね。

 

無産政党のなかで代表的なのが

労働農民党(ろうどうのうみんとう)!!!

 

労働者とか農民の労働環境改善が党の基本的姿勢だというのがわかるよね。

 

 

三・一五事件とは?

 

労働環境の改善が目的だとしてもやはり社会主義的な思想が政治に影響を及ぼすのは不安だ。

そこで田中義一は1928年3月15日、治安維持法を適用して、社会主義思想を主張する団体を大検挙したよ。

これを

三・一五事件(さん・いちごじけん)

というよ。

 

全国的に行われて、検挙されたのが約300人、すぐに収監されたのが30人といわれているよ。

 

治安維持法改正とは?わかりやすく 田中義一内閣

 

三・一五事件で多くの人を検挙、収監したあとに田中義一は1925年に制定された治安維持法(ここで詳しくやったよ)をさらに強いものとしたよ。

 

それが

治安維持法改正(ちあんいじほうかいせい)!!

 

この改正は緊急勅令で行われたんだ。

どのように改正されたかというと、

1925年の治安維持法は、最高刑が「10年以下の懲役」で、

1928年の治安維持法改正は、最高刑が「死刑」になったんだ!

 

三・一五事件で、治安維持法が名だけの法律でないことを示したあとに、

治安維持法改正で次は収監では済まないという脅しをしたんだね。

 

 

四・一六事件と特別高等警察

 

1928年の次の年、1929年にさらに社会主義思想をなくすような事件がおこるよ。

それが、

四・一六事件(よん・いちろくじけん)!!

 

これは生易しい検挙にはならなかった。

三・一五事件から逃れた人たちでまた社会主義思想の団体を作っていたんだ。

今度こそそういった団体を根絶しようと政府はいろんな手を使って検挙しはじめるよ。

 

うん。本当は「いろんな手」といってお茶を濁したいんだけど、ある人にはものすごい拷問をして幹部の居場所とかを白状させたり、名簿を奪ったりして検挙したんだ。

 

29年が終わるまでには約4900人が検挙されたといわれているよ。

 

でも、もちろんこれで終わったわけじゃない。

また新しく(政府にとっては)誤った思想をもったひとがあらわれるかもしれない。

 

そこで

特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)

略して

特高(とつこう)

が全国の警察に設置されたよ。

 

これは警察のなかにあって思想犯・政治犯を取り締まる役目をもっているんだ。

 

こうやって政府にとって不都合な思想を排除していったんだね。

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