モッセと山縣有朋の市制町村制と府県制郡制。

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立憲政治への準備は進むよ。

このモッセも俺にとってなかなか感慨深い人物でね。高校3年生の12月に生まれて初めて予備校に通ったのよ。冬期講習ってやつと直前対策でね。

日本史は近現代史が苦手だったから、明治維新以降の授業を取ったんだけど人気の無い先生でね。生徒3人しかいなかったの。だから、結構当てられちゃってさ。モッセ答えられなかったんだよね。

悔しくて悔しくてね。参考書を投げながらモッセ!って叫んだよ、俺は。

今日はそのモッセによる市制・町村制だよ。

市制・町村制とは?

まず、先に区別して覚えようか。

市制・町村制 → 1888年
府県制・郡制 → 1890年

だよ。

目的はね。憲法を制定したり、帝国議会を開くに当たって地方制度を確立していかないといけなかったの。

正直バラバラだったからさ。

まぁバラバラの様子は、こっちの三新法を読んでみてよ。

→ 明治時代の地方三新法

大区・小区 → 郡区町村編制法 → 市制・町村制

の流れは覚えておいた方がいいね。

市制・町村制ってのはセットで覚えるけど、実はバラバラの制度なんだよ。市制と町村制に分かれるわけ。

 

市制・・・内務大臣が「こいつ市長な!」と推薦して、その市長が市会を運営するのね。その市会がその市の行政を行うわけ。人口が25,000人以上いる地域を市として認めたのね。

ちなみにだけど市会で働く市会議員ってのは高額納税者しか被選挙権がなかったんだよね。これによって、いままで区だったのが市に移行する形になったわけ。
町村制・・・市よりも小さい単位。町村長は名誉職であまり権限はなかったね。郡区町村編成法の時には、町村って70,000以上あったんだけど、まとまりを大きくしていって、約15,000くらいになったんだよ。

まさに大合併だね!町村も市会と同じように町村会ってゆー議会があったよ。

(市会も町村会も議員は財産持っている人しかなれなくて、おもに地主とかが職を務めていたね。)
これら、市制・町村制の目的ってのは、地方制度を確立していくために「市ってのはこーゆー形な。」「町村ってのはこーゆー形な。」と明確なルールを決めてさ。

自治させることなんだよ。これらの市とか町村が法人格をもって、自分の地域は自分で管理&運営していくことが目的なわけだね!

 

 

府県制と郡制とは

 

こっちの府県制と郡制は1890年に制定されたよ。

府県ってのは今の都道府県とほとんど変わらない単位でさ、この府県知事ってのは官選なの。つまり政府が選んだ人が務めるってこと!主に内務省の官僚が務めたんだけどね。

府県会議員は市会や郡会の議員から選ばれたんだよ。

府県知事  → 政府から選ばれる。
府県会議員 → 市会・群会の議員から選ばれる。

このあたりは理解しておきたいぜ。

 

府県制では、府県知事が割と強い権限を持っていて、府県会議員の力は限られていたんだわ。

 

郡ってのは、府県と市町村の間くらいの単位のことだね。府県で扱うには小さくて、市町村では扱いきれないようなことを郡で担当していたんだよ。

県の中にいくつか郡があるようなイメージかな。で、その中にいくつも市町村があるイメージ。現代の郡とは全然違うね。

 

郡会の選び方ってのがかなり面倒なんだけど。

3分の2は町村会議員から選んで、残りの3分の1は大地主から選ぶんだよ。ここまで覚えなくても大丈夫なんだけども。

結局のところ、郡ってのは市町村を束ねたもの的なイメージなんだけど、管理が煩雑になったから1921年には廃止されてしまうんだけどもね。

 

 

これが市制・町村制と府県制・郡制だよ。

ドイツ人のモッセと山縣有朋が中心となって制度を確立していったの。ドイツの中央集権的官僚制的な自治制にならって作ったんだよね。

このあたりはちょっとマイナーなんだけども入試にも出しやすい問題なんだよね。でもさ、教科書や用語集だけだとイメージ湧きづらいじゃん?

だから資料集を良く読んで、あとは問題集に出てきている問題文を良く読んでおくと理解が深まるよ。

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