水戸学と尊王攘夷との関係は?明治維新との関係も

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前回は、優れた経世家の一人、佐藤信淵について見てきたね。

先進的な考え方を持っていて、『農政本論』を著したんだった。

 

今回見ていくのはまた違った学問・思想の一つ、水戸学についてだ。

 

水戸学ってどんな学問?

水戸学派、その名前通り水戸で生まれ成長していった学問のことだ。

 

水戸学の発端は、徳川光圀が始めた「大日本史」の作成作業。

異なる分野の編集員をたくさん集めて「大日本史」の編集にあたった一方で、編集員同士での議論も積極的にやらせた。

その結果、様々な分野の研究が盛んになっていった。

そしてこのころから朱子学の「大義名分論」に基づいて“尊王論”を主張し始める。(大義名分論については過去記事をチェック)

江戸後期になってくると、水戸学はその姿を変え始める。

異国船打払令のところでも触れたけど、1824年に水戸藩内の湾岸にイギリスの船が水や食料を求めて上陸するという事件が発生。

幕府側は、水や食料を要求通り与えて返した。

 

これを水戸学の一派が「弱腰だ!」と批判。

この事件をきっかけに「攘夷論(外国人を武力で押しのけよう!という思想)が盛んになる。

 

そして、会沢安(あいざわやすし)が水戸学前期から指示されてきた「尊王論」と「攘夷論」を掛け合わせた「尊王攘夷論」をひっさげた著書『新論』を発刊する。

まとめ

水戸学は、大きな時代の流れの中で「尊王論」、「攘夷論」という思想を生み出し、これが最終的に合わせた「尊王攘夷論」が生まれることになる。

 

尊王攘夷論は、倒幕にかかわる武士たちにとって非常に大きな影響を与えた。

次回はこの尊王攘夷論について詳しく見ていこう。

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