民党と吏党をもう一度おさらいしてみよう。初期議会での吏党。

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さて、もう一度民党と吏党を復習してみようぜ。

初期議会でのキーワードってのは、立憲自由党や立憲改進党の民党と藩閥政府の戦いなんだよな。

立憲自由党や立憲改進党ってのは民党って呼ばれていて、野党なの。

人々の税金を減らすために「政費削減」を謳うんだけども、藩閥政治は軍事費を拡大したかったんだよね。

民党と吏党

これでおわかりだと思うけども、

立憲自由党・立憲改進党 → 民党
藩閥政府支持派の党 → 吏党

ってわけ。

 

おもしろいもんでね。政府を非難するような民党が出てくると、それに対抗する反対勢力ってのも出てくるんですよ。政治ってのはな。

ちなみにだけど、「吏党」って言葉は民党の人たちが作った言葉で、政府を支持する党を揶揄する言葉として作られたの。

 

吏党で最初に出てきたのが、「大成会」

第1回衆議院議員選挙の直後に出来上がった党で、いきなり政府支持のズブズブの党ってわけではなかったの。

最初は言論の自由なんかも謳っていたし、どちらかと言えば政府非難の立場だったんだけども、自由民権運動や大同団結運動が激化していったから、それらを反対する立場になって・・・政府寄りになっていったわけ。敵の敵は味方!みたいなね。

でも議会でも小数派だったし、思想がグラグラしてるからさ。

すぐに解散しちゃうわけ。

他にも用語集には、「国民自由党」ってのは載ってるね。1890年結党。山縣有朋の第一議会でかろうじて5席を獲得した党だけども翌年に解散。

 

 

民党・吏党は初期議会の時だけの言葉

この民党とか吏党ってのは初期議会の時だけの言葉だから。

その後条約改正やらなんやらで、明確に民党と吏党って枠組みでは、みんなの考えをまとめることができなくなっていったんだよ。

特に条約改正の時に吏党と呼ばれる人々は政府を非難して、立憲改進党と仲良くしたりさ。

だから、明確に「こいつらは吏党でこいつらは民党な」なんてのは機能しなくなったわけ。

吏党ってのは初期議会の時だけ!と理解しておこう。

 

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