明治時代の啓蒙思想をわかりやすく。福沢諭吉大先生!

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抽象的なことはわかりづらい!

ってことで、明治初期の啓蒙思想ってのは理解しづらいよね。俺も福沢諭吉、西周、森有礼が「啓蒙思想家」と言われてて、ふーんくらいだったけど、啓蒙思想ってのをちゃんと理解していなかったんだよね。

でも、君は大丈夫。俺が啓蒙思想について語ってやるよ。

心して聞いてくれよな!

啓蒙思想ってなんだ?

啓蒙思想=「それっておかしいよね!冷静に考えれば、絶対おかしいよ!もっと正しいことしようよ!!」
ってのが啓蒙思想だよ。

用語集とかネット見ると超難しく書いてあるから、なかなか理解できないと思うんだけどさ。
もともとはヨーロッパで広まった考え方で、ヨーロッパで王様が民を統治してたじゃん?それに宗教がからまってドエライことになってわけじゃん。

「でも、それっておかしくね?もっと人間の本質を主張してさ。みんな賢くなろうよ!!」

ってのが啓蒙思想なんだわ。

ヨーロッパも封建主義だったから、人々は教会的な檻の中に閉じ込められていて、無知だったの。それを有知にしてあげよう!ってのが啓蒙ね。

日本も江戸時代は封建主義的だったでしょ。

さらに明治新政府になっても、薩摩と長州の藩閥政治が続いていたわけじゃん?だから、こういった体制に批判を浴びせて、もっと自由になろうよ!

って働きかけをしていったのが啓蒙思想家なのね。

これには一般の人々も呼応していったのね。

だって江戸時代は農民はずっと農民だし、武士はずっと武士なわけじゃん?農民がいっくら賢くても、身分が変わることはなかったわけ。

 

でも明治時代に入って四民平等になったから、「自分の努力次第で出世できる!」という土壌が形成されていったわけ。

じゃあどうしたら出世できるの?金持ちになれるの??と言えば、学問しかなかったわけだから、知識を得ることに対して貪欲な人たちも増えていったわけだね。

つまり啓蒙思想ってのは、個人の理性の自立ってことなんだよね。

 

こういった大きな思想の流れが薩長藩閥政治→大久保政治に対して反発していって、自由民権運動に影響を与えていくわけだ!!

 

啓蒙思想家福沢諭吉先生

福沢諭吉大先生は、大坂で緒方洪庵に学んだ藩士だったんだよ。

彼は3回も欧米を訪れていて、海外情勢やこれからの日本をどうするべきなのか?を考えてた人なんだね。

だから1868年には慶應義塾大学を作って、人々に学問を広げていったわけ。まさに啓蒙だね。

 

彼の著作をいくつか見てみよう。

 

『西洋事情』

1866~69年 欧米諸国の実情を紹介した本。

『学問のすすめ』

1872~76年 有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という本だね。

これって「人間皆平等!!」ってのが先にきちゃうけど、そうじゃなくて、「人間皆平等!なのに金持ちや貧乏にいるよね。なんで?学問だぜ!!」ってことなんだよね。当時、インターネットも無い時代に22万部売れたベストセラーだよ。日本人160人に1人が読んでる計算だね。


『文明論之概略』

1875年 古今東西の文明発達の事例を紹介してて、個人の自主独立と国家の独立のために西洋文明を取り入れることが重要!としている本だね。


『福翁自伝』(=ふくおうじでん)

1899年 福沢諭吉が亡くなる2年前に出された自叙伝だね。口語体で読みやついらしいよ。


『丁丑公論』(=ていちゅうこうろん)

西南戦争に関する西郷隆盛擁護の本だね。西郷さん悪くないよってやつ。

 

この福沢諭吉さんは本当にすごい人でね。慶應義塾大学を創立したわけだけど、1日も休ませなかったんだよ。

戦争があろうがなんだろうが、洋学を勉強をしなければ、日本は文明が遅れる!ということで、少年達を励ましながら、勉学に勤しませたんだって。

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