大隈財政と松方財政の違い!松方デフレとは何か。

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今回は財政についてだね。

政治と経済は表裏一体で、政治の政策が経済状況を作り、経済状況に応じて政治方針が決まるわけだから。

この時期に重要なのが、明治十四年の政変で下野した大隈重信により大隈財政と、1880年代前半に実施された松方正義による松方財政だね。

大隈財政と松方財政の違い

まず、明治十四年の政変を覚えていないと駄目だよ。

1881年に大隈重信は下野してるから、その辺はしっかり押さえておいてね!

 

○大隈財政

大隈重信は廃藩置県、地租形成、秩禄処分でもって明治政府の財政基盤を安定していったよね。

でも、殖産興業でもって「強い国を作る!」ということから、官営事業をやってジャブジャブお金使ってさ。不換紙幣なんかもドンドン発行していったのね。

そんな時に佐賀の乱、西南戦争が起こって明治政府は予想外の支出に見舞われることになるんだよね。

だからインフレが起きて、物価が上がっていっちゃったわけだ。

これに対して大隈重信の改革案はなかなかすごいよ?

外国に5000万円借金して不換紙幣を整理しようとしたわけ。5000万円って金額は当時の政府収入の8割の金額だったから、これにはみんな反対して、大隈重信の案は通らなかったわけ。

くしくも開拓使官有物払下げ事件が起きて、大隈重信が疑われたから大隈財政は終焉を迎えたわけね。

 

 

○松方財政

これに対して、松方正義は、外国債に頼ることなく、徹底した緊縮財政をしたのね。これが1880年代前半のこと。

たばこ税や酒税を増税、軍事費以外の政府予算の縮小、官営事業の払下げだね。

増税をしちゃえば、人々は税金を払わないといけないからそれで不換紙幣を回収しようとしたわけだね。
西南戦争での出費で、インフレが起きたんだけどもこの松方正義の緊縮財政で逆にデフレになっていったわけだね。

だから松方デフレ!って名前なんだ。

 

 

松方デフレの影響

松方デフレによって、物価が下がっていったんだよね。

特に農業を営んでいる人たちにとっては大打撃で、米や農作物の価格が下がっちゃって農家は困窮したわけ。

このデフレに耐えられない農家は、土地を売って都市部に仕事を求めて流れ出てったの。この時期から一部のお金持ち!いわゆる資本家と労働者階級に分かれていくんだよ。

 

また、デフレによって生活に困窮した人たちが蜂起活動に出ちゃって

自民党の過激派と相まって事件を起こしていくようになるんだね。

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