桃山時代の茶室、侘茶について解説!妙喜庵待庵って?

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前回は、千利休の生涯について見てきたね。

堺の上流商人として生まれた利休は、茶道を学び信長や秀吉から重用されたことで大きな政治的権力と茶人としての名声を得たんだった。

 

利休は「茶聖」とも言われている。

 

今回は、そんな利休が生み出した「侘茶」というものについて掘り下げていくよ。

侘茶って何なの?

千利休といえばセットで出てくる用語が「侘茶(わびちゃ)」。

イメージできるようなできないような・・・。

 

そもそも「侘び」というのは、“不足・貧しさ”といったものの中に美しさを求める精神のことを言う。

侘茶とは、この「侘び」の精神を重視した茶の湯のことを言う。

 

簡単に言えば、「質素な茶室・質素な茶器でお茶を飲む」という流派のこと。

 

利休が侘茶を大成するまで、茶の湯は「豪華」なものがほとんどだった。

茶器もひたすら高価でゴージャスなものを使うのが良いとされていた。

 

中には「闘茶」という、お茶の味当てゲームみたいなものまであった。

 

利休が大成した侘茶というのはこういった既存の茶の湯とは一線を画していて、簡素簡略の境地を何より重んじた。

究極の茶室・妙喜庵待庵

利休は理想とする侘茶を大成すべく、質素な茶器などを自分で考えて作らせたりしていた。

また茶器だけでなくお茶を飲む空間そのものにもこだわった。

 

侘茶の精神をこれでもかと凝縮したのが妙喜庵の「待庵」と呼ばれる茶室。

国宝にも指定されていて、現存する茶室で最古のものだ。

 

部屋の広さはなんとわずか2畳。

室内も華美なものは何一つなく、ダークな内装を基調として水墨画で書かれた掛物が一つあるだけ。

ひたすら簡素簡潔に徹していて、これぞ「侘び」の精神だ!と言わんばかりだね。

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