元禄小判で超インフレ?将軍・綱吉の元禄小判鋳造

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綱吉の時代には、幕府の「財政難」が表面化していた。

 

原因はいろいろあるんだけど、一番大きい原因はやっぱり家綱時代に発生した「明暦の大火」。

町全体の復興に巨額のお金が必要だった。

 

家光の時代には500万両ほどあったお金が綱吉の時代には100万両程度にまで減ってしまっていたことを考えるとその財政難が非常に重大だったことがわかるね。

 

さて、この問題を何とかすべく行われたのが「元禄小判の鋳造」。

 

今回は、元禄小判鋳造とこれを主導した荻原重秀について見ていくよ。

 

元禄小判とは

 

元禄小判はそれまでの小判と何が違うのか。

 

元禄小判の前までは「慶長小判」という小判が使われていた。

 

元禄小判と慶長小判の違いは、「金の含有量」にある。

 

 

ここに目を付けたのが、当時勘定吟味役だった荻原重秀。

 

荻原重秀は、慶長小判では金の含有量が4匁(15グラム)だったのを、元禄小判ではなんと2.6匁(9.75グラム)に大幅減量。

 

ではなぜ、荻原重秀はこんなことをしたのか。

 

ポイントは、金の含有量が違うことで「慶長小判2枚で元禄小判が3枚作れる」ということ。

 

現在流通している慶長小判を全て回収し一度溶かして、金の含有量が少ない元禄小判へと作り変える。

小判の流通量を変えなければ、原料である金に余剰が出る。

 

これを幕府は金を頂戴しようとしていたんだ。

元禄小判鋳造の影響

 

江戸の商人たちもバカではないので、「金の含有量が減ってしまうことは、その小判自体の価値が下がることと同じ」ということを知っている。

 

だから最初はみんな慶長小判を手放さなかったので、元禄小判はほとんど出回らなかった。

 

しびれを切らした幕府は、「慶長小判100枚返してくれたら元禄小判120枚あげる!!」と言った。(ちなみにこれでも幕府側に利益が出る)

こうしたら商人たちはみんな交換するようになって、結果的に元禄小判は大量に流通。

 

 

しかし商人たちが当初考えていたように、金の含有量が減った小判の価値は落ちているわけだ。

 

当然モノを売る人たちは商品の値段を上げる。

 

例えば慶長小判1枚で買える商品があったとしよう。

金の量で考えたら15グラムと交換していたわけだ。

 

しかし元禄小判では9.75グラム。

商人にとってこれでは割に合わないから、元禄小判1枚では商品を売らないよね。

 

 

こうしてインフレがどんどん加速していった。

 

インフレの影響が一番大きくあらわれるのは一般庶民層。

物価が上がって今まで通りの生活ができなくなり、不満が増大していった。

まとめ

綱吉と荻原重秀は財政難を何とかしようとして元禄小判を作成したけれど、これが結局はインフレを招き、庶民の生活を圧迫してしまった。

 

これは綱吉の悪政の一つと言われている。

 

 

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