秋月の乱と萩の乱。前原一誠は覚えておこう。

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引き続き士族の反乱だ。

秩禄処分・廃刀令・徴兵令の一連の流れによって士族は自分の居場所を失くしちゃうよね。

そんな士族は明治政府に対して、不満を爆発させて反乱を次々に起こしていくでしょ。前回は神風連の乱をやったわけで、それに呼応する形で秋月の乱・萩の乱が起きるわけなんだわ。

ここで、前原一誠っていう人物がなかなかの人物だからしっかり覚えておいてよ。

秋月の乱・萩の乱

ちょっと整理してまとめてみようか。

神風連の乱 → 熊本
秋月の乱 → 福岡
萩の乱 → 山口

このあたりは資料集を見ながら覚えるといいよ。山川出版の一問一答日本史B用語問題集だと、中心人物まで載っているから、早慶を目指している人はそこまで覚えてもいいかもしれない。

神風連の乱 → 熊本 → 太田黒伴雄(おおたくろともお)
秋月の乱 → 福岡 → 宮崎車之助(みやざきしゃのすけ)
萩の乱 → 山口 → 前原一誠(まえばらいっせい)

この秋月の乱と萩の乱に関しては、神風連の乱に感化されて士族が起こしたんだよ。

「熊本の士族やるじゃねぇか!俺らの黙ってられねぇから、暴れるぜ!!」

ってね。これはすべて10月の出来事で、それぞれの反乱の間隔は非常に短いの。神風連の乱では、予め「暴れるからよろしく!」という予告もあったらしいしね。

 

ここで注目してほしいのは前原一誠という人物だね。

 

前原一誠について

前原一誠は吉田松陰の下で学んでいた長州藩の藩士なの。

今までなんで名前が挙がらなかったのか不思議なくらい、尊王攘夷運動でも活躍しているし、八月十八日の政変でも三条実美に随行しているし、四国艦隊アベンジャーズとも戦っているし。

長州藩士として、明治新政府の建立に活躍している人物なんだよ。参議まで務めているしね。

 

そんな前原一誠なんだけども、徴兵令に対して反対の立場を取っていたのね。

徴兵令のところを思い出してほしいんだけど、まず大村益次郎が徴兵制をすすめていったけど、怪我して亡くなったよね。彼の意思を継ぐように山縣有朋が徴兵令をなんとか実現したじゃん。

前原一誠はこの山縣有朋のやり方が気に食わなくて、自分から明治政府を去って、萩に戻っているね。

で、萩の不平士族を集めて萩の乱を起こしたわけ。

 

せっかく明治政府のお偉いさんを務めていたのに、

「自分の考え方が、政府の方針に沿わないから辞める」

という結論を出すのってすごいなーって思うんだよ。

 

だって、一度手に入れた『おいしいポジション』じゃん。自分の考えなんて捨てて良い暮らしだったり、するよね。

でも、「自分の考え方が、政府の方針に沿わないから辞める」という結論を出すってのは、これこそが本当の政治家だな!って思うよね。やっぱり明治の政治家はかっこいいよ。

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コメント

  1. かな より:

    前原一誠って参議まで務めていろんなことしてるのに、日本史だとこの萩の乱くらいしか出てこないんですね。

    1. jahistory より:

      そうですね。前原一誠はドラマにも起用されていますし、本当はもっと評価されても良い人物ですよね。
      でも日本史Bの参考書や問題集ではこの萩の乱でくらいしか登場しないですね。

  2. 如水 より:

    明治維新は成功でしたか?
    徳川幕府は能力不足だったのでしょうか?
    どちらが勝っても結果は同じだったでしょうか?

    1. jahistory より:

      コメントありがとうございます。

      ご質問の件ですが、う~ん、難しいところですね。
      何をもって明治維新を「成功」とするかは、考え方によって変わってきます。


      ただし、明治維新によって政治のやり方や国の仕組みが近代化した(言い換えれば欧米諸国ら先進国に近づいた、同じになった)ということを評価するなら「明治維新は成功!」と言えます。

      ここからは私の勝手な考えなので、学者さんの話のように参考にはならないかもしれません。雑談程度に聞いてください。


      では、明治維新が成功なのだとしたら江戸幕府が能力不足だったのか?
      これについては、「わからない」というのが私の答えです。というのも、「もし江戸幕府が維新派を蹴散らして、江戸の治世が続いていたら・・」というたらればの話は実際に起きていないことなので推測でしかないからですね。
      あのまま江戸スタイルを貫き続けていたら今はどこかの国の領土になっていたかもしれませんし、もしくは今も侍の国として栄えていたかもしれません。

      ただ、世の中にはその時代その時代に「流れ」というものがあります。そして、「流れ」を作るのは今までの歴史上“強力な力を持った国や勢力”の場合が大半です。
      一方その他の国にはその流れに“乗るか、反るか、飲まれるか”という道があります。

      たとえば明治維新が起きたころ、欧米諸国は様々な面で日本よりも強力でした。
      技術力、軍事力の差でお隣中国がイギリスにアヘン戦争で負けたりしたのを見て、当時の日本は「このままじゃいつか日本は攻め入られてしまうかもしれない!他の国に乗っ取られないようにするにはどうすればいいんだ!?」と考えました。

      その結果、「江戸幕府を倒して根本から日本を変えて、欧米諸国の技術力・軍事力を手に入れなくちゃいけない」と考える人が出てきて、それが明治維新・近代化につながりました。つまり“流れに乗った”のです。

      現在の世界の様子を見てみると、明治維新のころ強力で近代化していた国々は先進国として未だ力を持っていますよね。その一国に日本が名を連ねているのを見ると、“流れに乗ることができた”明治維新は成功だったと言えるのではないかなと私も考えます。
      でも、これは結果論なので、“流れに反った日本”“流れに飲まれた日本”の方が現在より良かったのかどうかは推測でしか判断できないんですよね。

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