近衛声明を簡単にわかりやすく!第一次近衛内閣で3回出されたぞ。

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前回は、近衛文麿率いる第一次近衛内閣の一連の動きを見てきたね。

 

まあ、酷いもんだ。何とか平和的に解決できそうだったものを、ことごとくパーにしてたもんね。

結局盧溝橋事件の不拡大方針は撤回されて、全面戦争、いわゆる日中戦争に突入してしまったんだった。

 

ところで。実は、日中戦争が始まってしまってからも和平交渉のチャンスは作られていたんだ。

これに近衛がどう対応したのか。

 

・・・これまでの様子からなんとなく想像がつくかもね。詳しく見ていこう。

第一次近衛声明で和平交渉打ち切り

はい、想像通り近衛は和平の道を完全に閉ざしてしまいました。

 

前回の記事でちょろっと出てきた、石原莞爾(かんじ)って人物を覚えているかな?(知らない人はここからチェック→http://jahistory.com/konoe-fumimaro/

近衛が日中首脳会談をブッチしたことに対して「このままじゃ泥沼だ!日本を滅ぼす気かよ!?」と至極真っ当なことを叫んだ人だ。

 

石原は日中戦争がはじまったころ、陸軍内外で高まる「中国征服しちゃおうぜ派」に疎まれて内閣から失脚していた。

しかし石原は日本が中国と戦争を続けることに危機感を感じていたんで、独自のルートで和平の道を探ろうとした。

 

努力の結果、ドイツ人の在中大使・トラウトマンという人物を仲介役として和平交渉を行う、というルートにこぎつけた。

これを陸軍の参謀本部の方針としてまとめて、和平交渉に移ろうと考えていたそのとき。

 

近衛は「第一次近衛声明」を発表してしまう。

第一次近衛声明で最も重要なのは、この文言。

 

「国民政府を相手とせず・・・」

 

これは、蒋介石率いる国民政府との和平の締結を放棄する意味合いを持っていた。

 

どうも近衛は「蒋介石には日本の力を見せつけてやらねぇとなぁ!どうせすぐに戦争は終結するんだ!(ドヤァ」とか考えていたみたいね。見通しが甘すぎる。

こうして石原莞爾がなんとかこぎつけた和平工作もパーになり、日中戦争は継続する。

 

第二次近衛声明では一転

さて、近衛が自ら和平の道を閉ざしてから一年弱経って。

 

近衛が想像していたように戦争は終結したのかというと、もちろんそんなことは無い。

むしろ石原莞爾の言っていたように泥沼化し始めていた。

 

さすがの近衛も、そろそろ和平を締結したいと考えていた。じゃあ最初から戦争すんなよっていうね。

ただ、和平交渉は自分から絶ってしまったから蒋介石との和平は望めそうにない。

 

そこで目を付けたのが、蒋介石率いる国民政府の一員・汪兆銘(おうちょうめい)という人物。

この人は蔣介石とは違って親日的で、日本との和平の道を模索している人でもあった。

 

近衛は、汪兆銘を国民政府から離脱させて、汪兆銘に新しい親日政権を作らせることで和平を実現しようと思いついた。

というわけで出されたのが第二次近衛声明だ。

 

この声明では、第一次近衛声明の「国民政府は相手にしない!」という言葉を変えて、「国民政府と言えども、新秩序の建設に来たり参ずるにおいては、あえてこれを拒否するものに非ず」と言った。

 

これは簡単に言うと、「俺は日本・中国・満州の3国で新しい関係を築いていきたいんよ。この考えに賛同するってんなら国民政府であっても拒否はしないぜ?」というもの。

要するに第一次近衛声明を緩和したわけだ。

 

こうすることで、親日的な汪兆銘を国民政府からの離脱の「後押し」をしたんだ。

第三次近衛声明で和平実現か・・・と思ったら

上手いこと汪兆銘が国民政府から離脱したので、あとは汪兆銘に中国の覇権取らせてやれば戦争が終わる!と意気込む近衛。

第二次近衛声明のすぐあとに、第三次近衛声明を発表する。

 

これは日本の中国に対する和平の方針で、「善隣友好,共同防共,経済提携」という三つの言葉で表現される。

“近衛三原則”とも言われる重要ワードだ。

 

意味は、「みんな仲良く、共産主義は拒絶して、経済的に協力しようね!」というもの。

この声明でさらに汪兆銘を後押ししたカタチだ。

 

しかし!近衛の思い通りにはいかなかった。

なんと汪兆銘のカリスマが足りず、国民政府側の軍人たちが汪兆銘側に寝返らなかったんだ。

 

簡単に言うと、汪兆銘は自分が国民政府から離脱することで、同調してくれる人が多くいると考えていたのに、実際は大して離脱者が増えなかったって状況ね。

 

これを受けて国民政府側のボス・蒋介石は、「あ、国民政府裏切ったのね。汪兆銘永久に除名するわ」と言って国民政府側からハシゴを外してしまう。

 

かくして、近衛の和平工作は失敗に終わる

この第三次近衛声明から2週間後、総辞職して第一次近衛内閣は終わる。

 

まとめ

ちょっと今回は話が複雑だったんで、軽く整理しよう。

 

①蒋介石と和平交渉できそうだったのを第一次近衛声明で粉砕。

 

②日中戦争が長引いてきてヤバいと思ったので、親日的な汪兆銘を後押しするため第二次近衛声明発表。汪兆銘政権を作らせてそこと和平を結ぼうとした。

 

③汪兆銘政権ができた時に和平を結べるように、中国との和平方針を示した第三次近衛声明を発表。

→しかし汪兆銘が逆に蒋介石から切り離されて、汪兆銘の政権はできず。近衛の計画失敗・・・。

 

とまあこんな流れだ。

最初に蒋介石と和平交渉してれば未来も変わったかもしれないのにねぇ。

 

ちなみにお気づきだとは思うけれど、近衛はまた内閣に戻ってきます。二回も。

この話はまた後ほど・・・。

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