日本の国際連盟脱退はいつ?理由は?

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今回は満州事変のあとの日本について見ていくよ。

この時、当たり前だけど中国は満州を侵略されて、日本にとても怒っているよ。

そこから、日本は国際連盟脱退へと追い込まれてしまうんだ。

 

国際連盟への提訴

満州事変によって、日本は満州の各地を占領したね。(満州事変については、ここで詳しくやったよ

 

「この日本の満州を占領したという行為は、侵略行動だ!」

として、中国は国際連盟に提訴するんだ。

もちろん、中国は「満州国」の独立は認めていないよ。

最初は中国以外の国はあんまり何も思っていなかったみたいなんだけど、

不拡大方針を発表しているにもかかわらず、無視して満州各地の占領を進めていくから

日本の行動は不戦条約と九か国条約に違反しているとして、

諸外国は次第に日本に不信感を募らせていってしまうんだ。

 

そこで、国際連盟は満州の問題を調査するために、

リットン調査団を派遣して、1932年10月に、調査団はリットン報告書を発表するんだ。

 

リットン報告書は、ざっくり言うと、

満州に対する中国の主権を認め、また日本の権益も保障すると言うもので、

さらに、満州に中国の主権下に自治政府を作り、治安を守るため少数の憲兵隊をおき、その他の軍隊は撤廃するという、

解決策も提示していたんだ。

 

リットン報告書だと満州国の独立は認めていないような感じだね。

でも、日本はリットン報告書の発表直前に驚くべき行動をとっているんだ。

 

 

満州国の承認

日本では、斎藤実内閣がリットン報告書発表直前の1932年9月、

満州国と日満議定書を取り交わして、満州国の独立を承認してしまうんだ。

 

さらに、日本軍の行動はこれだけで終わらず、

1933年の2月、熱河省にも軍事行動を拡大していってしまう。

 

このような日本軍の勝手な行動は、国際連盟を刺激してしまう。

そして、同年2月の連盟臨時総会では、リットン報告書を基にして、

「満州に中国の主権があることを確認して、満州に自治政府を樹立し、日本の撤退を勧告する」

という決議案が、なんと42対1、しかも反対は日本だけという状況で可決されるんだ。

 

可決されると、日本の全権松岡洋右は会場を出ていってしまったんだ。

余談だけど、松岡洋右はこの可決に失敗したと落ち込んでいたみたい。

だけど、日本に帰ったら拍手喝采だったんだって。

日本では、国際連盟を脱退してほしいと言う意見も多数あったらしいよ。

 

そしてこの年の3月12日、日本は国際連盟脱退を通告するよ。

(正式に発行されたのは2年後)

 

こうして、日本は国際連盟を脱退したんだ。

国際連盟を脱退したことによって、これから日本はどんどん世界で孤立してしまっていくよ。

 

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