愛国社再興から国会期成同盟までの流れ。

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さて、自由民権運動は続くよ。

1875年に立志社を中心として、全国の有志が集まってできた愛国社なんだけども板垣退助が大阪会議で参議に復活したこともあって、一時期解散していたよね。

畳みかけるかのように西南戦争も起きちゃったしさ。

その愛国社が再興する出来事が1878年のことだ。

愛国社再興から国会期成同盟

まず、冒頭にもあげたけど、大阪会議で板垣退助が参議に復活することによって愛国者は一旦解散しているのね。

リーダーがいなけりゃ話にならん!ってことで。

 

1878年、西南戦争も終わり、自由民権運動は再び力を取り戻すよ。

ここでも立志社が中心となって、「お前ら・・・・もう1回愛国社頑張ろうぜ!!」と大阪で愛国社を再興させたのね。

立志社ってのは社長の片岡健吉が西南戦争に参加したがる士族を抑え付けて、「言論による政治の改革が必要」としてかっこいい人物がいるところだったじゃん?

実際、政社に参加している士族や豪農の人たちも、西南戦争で西郷隆盛が負けた様子を見て、

「うん。武力行使より言論による政治改革かもね・・・」

とシフトチェンジしていくのね。

翌年、1879年の愛国社第3回大会では、国会開設運動の全国組織結成を決定するよ。

 

さらに翌年1880年愛国社第4回大会では、名前を解改称して、「国会期成同盟」になるよ。

これが第3回で「全国組織結成しようぜ!」と決めたものなわけだね。

国会期成同盟は片岡健吉や河野広中が中心となったんだけど、全国で8万7000人が署名したんだよ。これってマジすごいよね。8万7000人だぜ?

で、8万7000人の署名をもって国会開設請願書を太政官に提出するんだけど、あえなく拒否!!

すごい攻防だね~。自由民権運動家 VS 明治政府

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