恋川春町は黄表紙の大人気作家!『金々先生栄華夢』が大ヒット

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前回は、代表的な洒落本・黄表紙作者の山東京伝について見てきたね、

深川の遊女を描いた『仕懸文庫』が大人気になるけど、寛政の改革でこれが発禁になり京伝も罰を受けてしまったんだった。

 

今回は、京伝と同じ時期に活躍した黄表紙作家・恋川春町を見ていこう。

 

恋川春町は武士だった!

恋川春町は、なんと武士の子供。

紀州徳川家の家臣として生まれ、のちに藩士となりどんどん出世を果たし、藩の中枢にまでかかわるようになる。

恋川春町ってのはペンネームで、本名は倉橋格(いたる)という名前。

藩の政治に参加する一方で、浮世絵の技術などを教わり、文章から絵まですべてを自分で書いた『金々先生栄華夢』(きんきんせんせいえいがのゆめ)という黄表紙を発刊する。

 

この物語のあらすじはこんな感じ。

(「金々先生」とは当時の流行語で、流行の先端をいく金持ちの粋人を意味する。)

江戸でひともうけしようとする田舎者・金村屋金兵衛は、目黒不動で名物の粟餅(あわもち)を食べようとし、餅ができあがるまでのちょっとした間にうたた寝をしてしまう。

うたた寝中、裕福な商人の婿となって遊郭などで遊び栄華を極めたものの、遊びすぎてブチギレられ勘当の身となる・・・という夢を見た。

この瞬間、「人間なんて、一生の楽しみもしょせん粟餅のできあがる束の間の夢にすぎないんだなあ・・・。」と悟る。

そして田舎者は江戸に行かず、田舎に帰っていく。

 

というストーリー。

ザ・夢オチだ。

 

この『金々先生栄華夢』はこれまでの黄表紙とは違い、非常に知的かつお洒落、さらに当時の社会状況を上手いこと反映していることで大人気となる。

しかし、1789年に発刊した黄表紙である鸚鵡返文武二道(おうむがえしもんぶのふたみち)』で、当時松平定信が行っていた「寛政の改革」を批判してしまったことで弾圧を受け、間もなく病気で死亡した。

自殺だったのではないか、とも言われている。

 

まとめ

黄表紙というジャンルを確立したといわれる恋川春町。

知的でお洒落という部分が当時の世俗にマッチしていて、大流行したんだ。

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