金融恐慌とは? 震災手形と若槻内閣

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これから金融恐慌をみていくわけだけど、金融恐慌と切っても切れないのが関東大震災(1923年、ここで詳しくやったよ)。

 

恐慌といえば株価暴落とかが思い浮かぶと思うんだけど、金融恐慌は震災の影響がとても大きかったんだ。

でも日本は関東大震災以前からずっと不景気が続いていたから、震災だけの影響とも言い切れない。

だから第一次世界大戦後の経済状況からみていこう!!

 

戦後恐慌から関東大震災まで

 

第一次世界大戦中、日本は好景気だったんだ。

これを大戦景気といったね(ここで詳しくやったよ

ヨーロッパ諸国が総力戦を強いられるなか、日本はほとんど大戦の影響を受けずに自国の製品を外国に売り込むことができたんだ。

 

でも大戦が終わればそうはいかなくなる。

ヨーロッパ諸国も自国で生産できるようになるから、海外からものをなかなか買わなくなって しまうんだ。

大戦中の好景気に押されてどんどん事業とか工場とかを拡大していった会社はいきなり物が売れなくなって投資した分の利益が得られなくなっちゃうし、

モノが売れなくなったからいままでの工場をたたんだりしなければならなくなっちゃったんだ。

 

これを

戦後恐慌(せんごきょうこう)

といよ。

1920年から日本は恐慌に苦しんだんだ。

 

そして1923年、関東大震災が起きたよ。

このせいで工場や事業のほとんどが倒壊したり火事でなくたってしまったんだ。

 

そこで問題となるのは、

企業の約束手形が決済できなくなること。

 

手形ってわかりやすくいえば、期限付きのツケ払いみたいなのね。

企業間の取引でいちいち現金を使ってやり取りしていたら大変だね。

大量に仕入れる際にたくさんのお金をわざわざ銀行から引き出さないといけないし、

もらった方も会社に戻るまでそのお金が盗まれないかひやひやしてしまう。

 

そこで、手形が使われたんだ。

約束手形を渡せば何月何日までに支払いますよっていう約束になるから、特に現金をもちはこぶ必要がないしね。

 

でも約束手形には問題点(利点でもあるんだけどね)があって、いま現金を持っていなくても約束手形を発行できてしまうんだ。

例えばA社が次のような経営をしたとしよう。

「今現金をもっていないけれど明日になればB社から以前の取引分の現金がもらえるから、約束手形を発行してC社から製品を仕入れておくか」。

 

 

これは企業にとってはとてもいいことなんけど、急にB社が倒産してしまった場合困ってしまうね。

A社は手形を返せなくなって倒産してしまうんだ。

 

でもこれはA社だけにとどまらないんだ。

例えばC社がA社と同じように

「今現金をもっていないけれど明日になればA社から以前の取引分の現金がもらえるから、約束手形を発行してD社から製品を仕入れておくか」と考えたとしてみようか。

 

A社は倒産してしまったからC社はA社からお金がもらえなくなるね。

C社はD社に手形を返せなくなって倒産してしまうね。

 

このような連鎖はなかなか起こりにくいんだけど、震災のせいで手形を払えなくなった企業が続出してたくさんの企業が倒産しかけたんだ。

(ほんとうはもう少し複雑。一つの企業はたくさんの企業と取引をしているから、現金をもらうはずの1社が倒産したとしてもなんとかやっていけるんだ。でも関東大震災のせいでたくさんの企業が倒産してしまって予想できるリスクを上回ってしまったんだね。)

 

こういった震災のせいで現金に戻せなくなってしまった約束手形(返せなくなったツケ)を

震災手形(しんさいてがた)

というよ。

 

そこで国は企業が倒産しないように震災手形割引損失補償令(しんさいてがたわりびきそんしつほしょうれい)という法律を出して企業の倒産を防止したんだ。

 

 

金融恐慌とは? 若槻内閣総辞職の原因

 

これから金融恐慌(きんゆうきょうこう)を見ていくわけだけど、このときの首相は

若槻礼次郎(わかつきれいじろう)!!

 

議会の最中に病死してしまった加藤高明に引き継いで1926年に

若槻内閣(わかつきないかく)

が発足したんだ。

 

政党はもちろん憲政会ね(加藤高明、憲政会がピンとこない人は、第二次護憲運動を見直そう)!

 

ちなみに1926年は

昭和天皇(しょうわてんのう)

が即位した年だから一緒に覚えておこう。

金融恐慌は昭和に起こったんだね。

 

震災手形割引損失補償令で震災手形をなんとかして経済が良くなるかと思ったんだけど、あんまり改善しなかったんだ。

 

そもそも震災手形割引損失補償令ってなにかというと、ものすごくわかりやすくいえば、

震災手形を政府が買い取りますよというもの。

 

約束手形はある期日が来れば現金にかえられるんだったね。

でも企業によっては「期限をまってられない!早く現金にしたい!」という企業もあるね。

そこで金融機関が「約束手形を割引いて買い取りまっせ」と約束手形の金額から利息分と手数料分を割引いて企業に現金を渡すようになったんだ。

金融機関は無事に約束手形がもらえれば利息分と手数料分が儲かるからね。

 

この方法を利用して政府が震災手形を割引いて買い取ることにしたんだ(詳しくいえばまず銀行に約束手形を割引かせてその約束手形をさらに日本銀行が割引いたんだ)。

こうやって政府は市場に現金を流したんだ。

これがわかりやすく説明した震災手形割引損失補償令ね。

 

でも1926年の末になっても政府が割引いた(買い取った)約束手形の半分ほどしか企業から返ってこなかったんだ。

 

そこで議会では震災手形について話されたんだ。

いわゆる震災手形処理法案(しんさいてがたしょりほうあん)についてね。

 

でも審議の最中に若槻内閣の大蔵大臣が「この法案を通さないと渡辺銀行が倒産してしまう」と失言してしまったんだ。

 

これをきっかけに「銀行の預金をおろさないと大変なことになる」と銀行にたくさんの人々がおしよせるよ。

一つの銀行が倒産してしまいそうなんだから、他の銀行も危ういはず。

そうやって渡辺銀行だけでなく、どの中小の銀行にも預金をおろす人が押し寄せたんだ。

これを

取付け騒ぎ(とりつけさわぎ)

というよ。

中小の銀行はそんなにお金を返せないから休業に追い込まれてしまう。

 

このように1927年3月の取り付け騒ぎからはじまったのが

金融恐慌(きんゆうきょうこう)

なんだ。

 

さらに大手の銀行にも取り付け騒ぎが起こるよ。

その銀行は

台湾銀行(たいわんぎんこう)

ね!!

 

台湾銀行は

鈴木商店(すずきしょうてん)

という総合商社にたくさんのお金を貸していたんだ。

 

鈴木商社は三井や三菱にならぶ勢いだった商社だったんだけど、戦後恐慌のせいで業績は悪化していたんだ。

そこでもしも鈴木商店が倒産してしまったら台湾銀行も潰れてしまうと取り付け騒ぎが起こったよ。

こうやって大手の銀行も休業に追いやられていくんだ。

 

若槻内閣は緊急勅令で台湾銀行を救済しようとしたんだけど、枢密院の反対でけっきょくどうすることもできなかったんだ。

理由は若槻内閣の大蔵大臣の失言からはじまったから。

 

 

数値的な合理的理由から反対したのではなくて、

内閣の責任なんだから自分たちで何とかしなさいというもの。

 

 

こうして台湾銀行を救済できなかった若槻内閣は責任をとって総辞職せざるをえなくなってしまった。

 

 

若槻内閣後の金融恐慌

 

若槻内閣のあとに首相になったのが

田中義一(たなかぎいち)!!

 

これは

憲政の常道(けんせいのじょうどう)

を守って選ばれたよ。

 

憲政の常道というのは1924年の加藤高明内閣から続く慣例のことをいうよ。

第一党が総辞職したあとは第二党(野党の第一党)が引き継ぐというもの。

 

だから憲政会の若槻礼次郎から

野党第一党、立憲政友会の田中義一が首相になったんだ。

 

田中内閣がまずやったことは、緊急勅令で台湾銀行を救済しようというもの。

 

「え!若槻内閣のときに枢密院に反対されたんじゃないの?」と思うかもしれないけど、これがあっさり通ってしまった。

理由は田中内閣の責任ではないから。

 

賛成や反対の理由は、いまやった方が効果があるとか、数値的に危ない状況になってしまったとかではなく、「責任」の問題なんだね。

もちろん、若槻内閣の外相、幣原喜重郎をどうにかしたかったというのが本音なんだろうけど(ここで詳しく説明したよ)。。。

 

そして

モラトリアム(支払猶予令(しはらいゆうよれい))

が3週間実施されたよ。

 

3週間銀行窓口を一時休業させたんだ。

そのあいだに大量のお札を印刷していったんだ。

裏を印刷してないお札たくさん印刷したんだって。

 

そうして印刷したお札を銀行に貸し出して(20億円ちかく)、銀行は取付に来たひとたちにお金を返すことができたよ。

こうして金融恐慌を終わらせることができたんだ。

 

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