契沖は国学の始まりを作った?万葉集を研究

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

さて。今回から、江戸時代の「国学」を発展させた国学者たちを順々に見ていくよ。

 

今回は、国学の開祖ともいえる僧侶・契沖についてだ。

古典を徹底的に研究

契沖は幼いころから妙法寺に入り、のちに僧侶となる。

俗世を嫌い、ひたすら修業を繰り返す修行僧だったという。

 

高野山で仏教や儒学を学んだあと、契沖は仏典(仏教の聖典)や日本の古典を多く読むようになる。

 

そんな中、契沖は徳川光圀から「万葉代匠記(まんようだいしょうき)」という万葉集の注釈・研究書の作成を命じられる。

 

もともとは下河邊(しもこうべ)長流という和学者が光圀から頼まれていた仕事だったんだけど、長流が病気で仕事ができなくなっちゃったから代わりに契沖が担当することになった。

 

「注釈者の主観や思想が混じっていない」純粋な注釈書であることが非常に評価が高い。

この「万葉代匠記」作成には、契沖の並々ならぬ仏典・日本古典の知識が生かされたという。

国学の始まり

契沖が古典を研究したことで生まれた『万葉代匠記』は、のちの国学者たちに大きな影響を与える。

宝暦・天明文化の国学者・荷田春満は『万葉代匠記』で古典学習をしたという。

 

まとめ

契沖の行った日本古典の研究によって、後に国学の大きな発展が生まれることになる。

まさに国学の祖ともいえる人物だった。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*