明治時代の華族令の目的とは?五階は公候伯子男!

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さて、1881年に「1890年を期に国会開くよ!」という国会開設の勅諭が出されたね。

自由民権運動が収まるかと思いきや、松方デフレや条約改正問題でもって自由民権運動は激化するんだよ。

そんな中、将来の議会に向けて、華族令という新しい制度もできたんだよ。これにはいろんな目的があったから見てみようね。

華族令とは

1884年に公・候・伯・子・男の爵位(しゃくい)を設けた制度だね!

公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵ってことで、覚え方は(こーこーはくしだん!)

伊藤博文は旧大名や旧公家に特別な身分を与えるために、華族制度を作ったわけなんだけども、明治維新でよくやってくれた!って人たちも華族に入れてあげたわけなんだね。

「どうしてそこまでしてあげる必要があるの?」

なんて思っちゃうけど、江戸時代までは大名ってのは大名の仕事をしていたし、公家は公家の仕事をしていたんだよ。

それを大名は版籍奉還、廃藩置県で明治政府にお渡ししたわけだし、いきなり「お前らクビね!」なんて言っても明治政府に対する不満がどんな形で現れちゃうか未知数じゃん。

自由民権運動の例もあるし、西南戦争の例もあるしさ。

だから、華族制度を作って特別な身分にしてあげたんだよ。

旧大名は旧公家と同等の身分になったから、「まぁよしとしよう」ってノリだったらしいよ。

また男子の世襲制としていたので、子どもは爵位を継ぐことができたっていう特権もあったね。

 

伊藤博文としては、将来議会を開く際に、上院の議員になってもらう意図もあったわけで、皇室の護りとも呼ばれる華族は皇室や政府の味方になって仕事をしたわけさ。

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