河竹黙阿弥(もくあみ)は世話物の達人!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

前回は、怪談物や生世話物の重鎮・四代目鶴屋南北について見てきたね。

『東海道四谷怪談』は非常に有名な作品になったんだったよね。

 

今回は、化政文化を支えた歌舞伎作家の一人・河竹黙阿弥について見ていくよ。

河竹黙阿弥は明治以降の名前!?

河竹黙阿弥は、幼少から文学にのめりこんでいたという。

読本や芝居の台本、川柳や狂歌を作りまくっていたらしい。

 

そんな様子を見てきた親に「ニートしてんじゃねぇ!出てけ!」と言われ勘当される。

その後は貸本屋で働く・・・・ふりをして、ひたすら読書に耽ったという。

 

30代近くで二代目・河竹新七を襲名し、歌舞伎作者として名乗りを上げた。

デビュー数年でヒットを飛ばし、それ以降は大人気作家に。

黙阿弥の作風

一番得意としたのは、「世話物」。

庶民の様子を写実的に(リアルに)表現したものだったね。

 

また、作品の中のセリフが選び抜かれた言葉で構成されている点でも評価が高い。

セリフの多くが七五調になっていたり、掛詞のような言葉遊びが織り交ぜられていたり。

 

まさにセンスの塊のようなセリフ回しなんだ。

まとめ

黙阿弥は、もともと河竹新七という名前で活動し、幕末期には不動の地位を築き上げた。

じゃあなんで「黙阿弥」なんて名前に改名したのか。

 

これについては次回触れていくよ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*