河村瑞賢は明暦の大火で大儲け!御家人にまで登りつめたぞ!

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前回までで、江戸の陸上交通(五街道や飛脚など)について見てきたね。

 

次に見ていくのは、江戸時代の海上交通。

江戸の航路は、ある人物をきっかけに大きく変化したんだ。

 

その人物こそ、今回紹介する河村瑞賢だ。

 

この人物はあの「明暦の大火」から頭角を現し始めた人物だよ。

 

河村瑞賢って何者?

 

河村瑞賢は、若いころ江戸で材木屋を営んでいた商人だった。

 

河村瑞賢が莫大な利益を得るきっかけになったのが、あの江戸の大火事・「明暦の大火」。

 

明暦の大火は以前の記事でも言った通り、江戸城の外堀から内側をほぼ全域にわたって焼け野原にした悲惨な火事だったね。

 

しかし、これは瑞賢にとって非常に大きなビジネスチャンスだったんだ。

 

江戸時代の建物はみな木造だから、江戸の街を復興するには大量の材木がいる。

瑞賢は、長野県に赴き材木を片っ端から買い占めまくったんだ。

 

その材木を使って江戸の土木建築を請け負った。

 

材木をたくさん持っている瑞賢にはもちろん人が殺到するよね。

これで瑞賢は超大金持ちになったわけだ。

 

河村瑞賢がやったことって具体的になに?

 

河村瑞賢は明暦の大火で多額の利益を得たのち、幕府の老中などとコネができて幕府の公共事業に携わっていくことになる。

 

瑞賢のやった仕事で大きなものは2つ。

「航路開拓」「治水工事」だ。

 

航路開拓については次回以降詳しくまとめるから、今回はざっくり概要だけ。

 

航路開拓は、東北や北陸から年貢米を輸送するための直行路が必要だったことから、幕府は瑞賢に航路開拓を要請した。

 

治水工事についても、淀川が氾濫して大洪水を起こしたことをきっかけに瑞賢が前々から言っていた「治水工事の必要性」を幕府が認識し、瑞賢に治水工事を担当させた。

 

こうして幕府と強い関係を築いていったため晩年には旗本になった!

大出世だね。

まとめ

河村瑞賢は、明暦の大火をきっかけとしてたくさんの事業を成功させていった。

新井白石の記した書物にも「天下に並ぶものがない富商」と絶賛されるほどの才能を秘めていたんだ。

 

ちなみに。瑞賢は82歳まで生きたんだって。この時代だとすんごい長生きだよね。

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