韓国併合とは? わかりやすく説明!伊藤博文も登場

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もし(日本人である)あなたが「わたしは昔の日本人とは関係ない!」といいはったところで、外国の人たちはあなたのことを、日本人というフィルターを通してあなたをみている。

この「日本人」というフィルターはこれまで日本がやってきたことなんだ。

 

いくらあなたの記憶になかろうと、日本のこれまでの歴史を背負って僕たちは外国の人たちと関わっていかないといけない。

 

今回のテーマは「韓国併合」。

韓国と日本(げんざい僕たちが負っている日本)の仲が良くなったり、悪くなったりをくり返している理由が徐徐にみえてくるかもしれない。

 

では始めるよ!!

はじめの一歩

 

韓国併合の第一歩は1904年の

第一次日韓協約(だいいちじにっかんきょうやく)!

日本はこれを日露戦争の最中に大韓帝国(韓国)に強要したんだ。戦争の協力を理由としてね。

内容は「日本は韓国のお金を自由に使えるし、韓国がおこなう外交も日本の都合のいいように決められる」というもの。

 

縄張りの確認

 

それでだ。韓国をある程度自由にあつかえるようになった日本。次にすることは何かというと、他の列強に韓国をとられないようにすること。具体的にいうと、「あなたのモノはとらないから、わたしのモノもとらないでね」と約束をすればいいんだ。

これが、1905年7月、

桂・タフト協定(かつら・たふときょうてい)!!

 

日本の首相、桂とアメリカの大統領、タフトが結んだ協定で、

「アメリカのフィリピン統治を邪魔しないから、日本の韓国統治も邪魔しないでね」と約束をしたんだ。

 

 

韓国を保護国化!伊藤博文登場!

 

こうやって日本をちゃくちゃくと韓国統治を進めていく。さらにはポーツマス条約(1905年9月)の2カ月後の1905年11月に

第二次日韓協約(だいにじにっかんきょうやく)

を締結したんだ。ちなみに第二次日韓協約は韓国では乙巳条約(いつしじょうやく)というからこっちも一緒に覚えておこう!!

 

第二次日韓協約で日本は韓国の外交権をてにいれて、韓国を保護国(ほごこく)にしたんだ。

 

そんでもって、日本は韓国の首都漢城に日本の代表機関、

統監府(とうかんふ)

を置いたんだ。

 

統監府は韓国の外交と内政に対してあーだこーだ口を出せる機関。

統監に就任したのはあの伊藤博文(いとうひろぶみ)!!

 

伊藤博文はこのあとも重要人物として登場するよ!

 

こうやって日本はどんどん韓国統治を進めていったんだ!

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