カイロ宣言(会談)をわかりやすく。ソ連が参加せず中国が参加した理由

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時はちょっと戻って、日本がガダルカナル島の戦いで大敗して撤退する頃の話。

 

このころアメリカを筆頭とする連合国側は、「今後の日本への対策について考えようぜ」ということで会議を開いていた。

その最初の会議が、カイロ会談というもの。

 

詳しく見ていこう。

カイロ会談って?

 

第二次世界大戦中盤の1943年、連合国の間で「日本に対する今後の対応」会議が行われた。

その名もカイロ会談。

 

エジプトのカイロで行われたんで、それにちなんで名前が付けられている。

 

この会議に参加したのは、以下の3つの国。

 

  • アメリカ・・・・・首相 フランクリン・ルーズベルト
  • イギリス・・・・・首相 ウィンストン・チャーチル
  • 中国国民政府・・・主席 蒋介石

 

ソ連は呼ばれてたんだけど、この時は「日本とは日ソ中立条約あるから~」ってことで辞退。

 

さて、気になる会談の内容だけど・・・。

カイロ宣言の内容

カイロ会談のあと出された「カイロ宣言」は、“日本が無条件降伏したら連合国は日本にこういう対応するよ”という約束事を示したもの。

 

簡単に言うとこんな感じの内容。

  • 日本は満州と、台湾と、澎湖島は中国に返しなさい
  • 1914年以後に占領した土地は全部放棄しなさい
  • 朝鮮の独立を認めなさい

 

ただこの宣言は正式に署名された文書として出たわけではなくて、この時点ではあくまで「そういう話になったよ」という報告程度のもの。

 

カイロ会談の裏の思惑

 

カイロ会談が行われる前、「中国の蒋介石を会談に呼ぶかどうか」でルーズベルトとチャーチルがちょっと揉めた。

チャーチルは正直蒋介石を呼びたくなかったんだけど、ルーズベルトがごり押しで会談に参加させた。

 

というのも、ルーズベルトにはある思惑があった。

 

ルーズベルトは、日中戦争時代から長いこと続いている戦いをみていて、「もし中国が戦うのが嫌になって、勝手に日本と講和とかしちゃったら困るな~」と考えていた。

 

そこで強国が集うカイロ会談にあえて蒋介石を呼んで、「いや~蒋介石くん頑張ってるね!支援あげるからこのまま日本と戦い続けてほしいな!」と激励しようと考えた。

 

ただ、これはちょっとルーズベルトが中国を買いかぶりすぎていた。

 

ルーズベルトは中国がなんやかんや日本と拮抗していると考えていたんだけど、実際は中国めちゃくちゃ劣勢で、一発日本が総力をあげて突っ込んだら国民政府が崩壊するくらいの状態だった。

 

実際、このあと日本が超大規模な作戦を行った関係で国民政府の戦線は崩壊してしまう。

 

ルーズベルトは中国のあまりの期待外れなザマにがっかりして、これ以降重要な国際会議に蒋介石を呼ばなくなる・・・。

 

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