聚楽第(じゅらくてい)ってどんな建物?金ピカだった!?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

前回は、五大老について見てきたね。

五奉行の補佐官として使える傍ら、家康は着実に力をつけていたんだったよね。

 

さて、今回紹介するのは秀吉の時代にあったといわれる建物・聚楽第について見ていこう。

そもそも聚楽第ってなに?

聚楽第は、関白となった秀吉が政治を行う場所兼自宅として作らせたもの。

約一年かけて完成した。瓦がすべて金箔でおおわれていたというよ。

 

ちょうど秀吉が九州の島津氏を撃破して制圧を完了した後に、聚楽第に移り住んだ。

しばらくして秀吉が甥の秀次に家督と関白職を譲ったことで、秀次の住処となる。

 

その後秀吉に自分の息子ができたため、甥の秀次は「もしかして俺、立場失うんじゃね?」と恐れ次第に精神を病み始める。

この様をみて秀吉は秀次を高野山に追放。さらに切腹させてしまう。

 

秀吉は秀次亡き後徹底的に聚楽第をぶっ壊してしまった。

聚楽第はたった8年間しか使われなかったという。

聚楽第で行われたこと

短い期間しか存在しなかった聚楽第だけど、けっこう重要な場所なんだ。

まず、秀吉に「豊臣」という姓を与えて太政大臣の職を与えた天皇・後陽成天皇を2回も招いて宴を開いた。

この様子は絵としても残っているほど大きなイベントだった。

 

また、徳川家康など臣下に忠誠を誓わせたのもここ、聚楽第だ。

まとめ

聚楽第は、秀吉が徹底的にぶっ壊してしまったために現存していない。

聚楽第破壊以降、秀吉は新しい京都の新居を作ってそこに移り住んだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*