条約改正はまず流れと人物を掴もう。【覚え方】

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1858年の安政五カ国条約で日本は不利な条約を結ばされたわけだ。

「こーしてはいられん!」と憲法を作って、富国強兵をして、地方を統治して・・・などなど欧米列強と対等に渡り合うために日本はすごい勢いで成長したわけさ。

それもこれも不平等な条約を改正するためなんだ。

 

この条約改正は大学入試でも出題されやすい内容だから、細かい部分はあとでやるとして・・・まずは流れをしっかりと掴もうぜよ。

条約改正の流れ

 

【前提】
1894年 陸奥宗光 治外法権の廃止
1911年 小村寿太郎 関税自主権の回復

 

治外法権やら関税自主権がよくわからない人はもう一度この記事を読もう。

→ 領事裁判権・治外法権の違い
→ 関税自主権が無かった

 

まず、1894年と1911年の条約改正の達成については年号・人・内容は絶対に覚えてないとダメ。高校受験レベルだから。

こんなの覚えてないの論外だよ。(俺は高3の夏に初めて覚えたけどね!てへぺろ)

 

よし、覚えた?覚えまくった?

ここからが大学受験の日本史Bレベルだから、しっかりついてきてくれよ。

 

 

条約改正には条約改正の交渉に臨んだ人や、改正案を出した人がいるんだわ。登場人物は7人。

7人の頭文字を使って覚えよう。合言葉は・・・「イテイオアムコ」だ。
イ・・・岩倉具視
テ・・・寺島宗則
イ・・・井上馨
オ・・・大隈重信
ア・・・青木周蔵
ム・・・陸奥宗光
コ・・・小村寿太郎

 

というわけ。これ覚えておくとマジ楽だよ。

それぞれの人がしたことや内容は後で細かくやるから概要だけ覚えておこうか。

 

〇岩倉具視

1871年に岩倉使節団を連れて海外を外遊するね。まったく相手にされなくて、帰国後に「まずは日本を発展させなきゃ!」って言ったね。

 

〇寺島宗則

アメリカの同意までこじつけたんだけど、イギリスとドイツが反対して挫折。

〇井上馨

欧化政策、鹿鳴館の人だね。外国人裁判官を認めようとしたよ。
○大隈重信

井上薫ちゃんの改正案をちょっと手直して、各国と個別交渉をしたよ。右翼に爆弾投げられちゃう。

 

〇青木周蔵

ロシアが東に攻めてくるのを警戒したイギリスと仲良くなったんだね。「やべぇロシアがアジア責めそうだから、日本と仲良くしよう」とイギリスは考えた。

残念ながら大津事件の時の大臣で、辞職。

 

〇陸奥宗光

1894年に領事裁判権の撤廃に成功。

 

〇小村寿太郎

1911年に関税自主権の回復に成功。

 

 

これが条約改正の流れだ!!覚えておけ!!

 

 

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