江戸時代の城下町はどんなところだった?

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前回までは、「農村」について見てきたね。

村の制度から幕府の政策まで色々あったけど、農村は何といっても年貢を納めることが大きな役割だったね。年貢は幕府にとって重要な財源だったから、百姓が没落しないように様々な施策をしてたわけだ。

 

さて今回見ていくのは、「城下町」!つまり江戸時代の都市部だ。

みんなは城下町って言ったらどこを思い浮かべるかな?

城下町の役割

城下町は、その名の通り城の周りに多くの人が集まって出来た町なんだ。武士もいるし商人や職人もいる。

つまり、城下町は政治・経済・文化の中心であったわけだ。織田信長が楽市・楽座などを城下町に設けて商業を活発にしたあたりから城下町はものすごく発展していった。

 

城下町の中には江戸時代当時で10万人を超える人が集まるものもあったんだ。

当然江戸城下もそうだし、ほかにも大坂城下、名古屋城下、金沢城下、熊本城下・・・。

 

こうして並べてみると、ほとんどが現代の日本でも大都市(または人口が多い都市)になっていることが分かると思う。

つまり今の日本の大都市は江戸時代から続いているってコト。何気にすごいよね。

城下町の中身

城下町は大きく分けて三つに分かれている。

まずは武家地。武家屋敷が集まる地域だね。基本的には地位の高い武士ほど城に近いところに住んでいた。

次に町人地。商人や職人が“職種ごとに集まって”生活していた。取り扱ってる商品が町の名前になることがままあって、呉服町とか大工町なんかがそう。

そして寺社地。城下町の外側に配置されていた。これは純粋にお寺や神社だね。

 

今回はここまで。

 

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