壬午軍乱から甲申事変までの流れと独立党は一体なんだ!?

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さて、朝鮮に関する記事はまだまだ続くよ。

大院君によるクーデター壬午軍乱によって、閔妃は清国に助けを求めたね。親日派の閔妃は清側に寝返ったわけだ!

実は清は壬午軍乱のおかげで、朝鮮に6,000人もの軍隊を駐在させるようになった閔妃を傀儡とする実効支配を強めていってたわけですよ。

これに反発したのが、前回の記事で話してた金玉均と朴詠考なわけなんだね!

今日はその甲申事変についてみていこう。

甲申事変とは?

閔妃が清に寝返っちゃったわけだから、元々の改革派は不満を持っていたわけ。

寝返ったってよりは清に助けを求めたから、清側に歩み寄らなければいけなくて、清に宗主国としての力を強められたってわけなんだけどね。

で、改革派の金玉均(きんぎょくきん)と朴詠考(ぼくえいこう)らは『独立党』を結成するの。

改革派はもともと親日派、近代派だったわけでしょ?なんでまだ日本に近寄りたかったか!というと、日本の明治維新、つまり近代化に影響を受けていたわけね。『俺らも経済的に発展したい!!!』ってね。彼ら独立党はその指針から開化派なんても呼ばれている。

金玉均なんて壬午軍乱の後に日本にやってきて福沢諭吉にいろいろ教えてもらっているからね。壬午軍乱が1882年。甲申事変が1884年だから、わずか2年間で日本に留学して、帰国後に独立党を結成する行動力のある人だ。

そんな独立党にチャンスがやってくる!

なんと清がフランスと戦争しているではありませんか!!

清が忙しそうな今がチャーンス!!!待ってましたー!!!

 

と言わんばかりに、日本の行使と結託してクーデターを起こしたわけ。具体的には閔妃一族のお偉いさんを殺すよ。昔は過激だね。

でも時期尚早だったね。清が軍を送ってきて制圧されちゃう。敗れた金玉均と朴詠考は日本に亡命してきますよ。

朴詠考なんかは今後も出てくるからちょっと頭に入れておこう。

 

ここんところの2~3記事をじっくり読み直すと、壬午軍乱→甲申事変の流れがよく掴めると思う。

一問一答で暗記するだけだと、これが問題形式になって出題された時に、なんだかよくわからなくなっちゃうから、何度も読んで知識を固めておいてな。

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