岩倉具視がしたこと。討幕・明治新政府樹立の立役者!

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今日は岩倉具視だ!

ともみちゃん!岩倉具視は公家の立場から討幕にものすんごい尽力した人で、明治政府樹立後も活躍した人物だよ。

今日は岩倉具視の明治政府樹立までの活躍を見ていこう。

 

岩倉具視がしたこと

まずね、岩倉具視って公武合体派だったの。

1860年に桜田門外の変で井伊直弼が殺されると、後に安藤信正らと合作して、あの「和宮降嫁」を推進するのね。

和宮って孝明天皇の妹で14代家茂と結婚したよね。

江戸幕府は弱体化してたから、天皇家の和宮と結婚して信頼を取り戻そう!って動きだったわけじゃん。実は岩倉具視も和宮降嫁を頑張ってたの。

すると、佐幕派だと思われていて、尊王攘夷派の反感買うのね。

尊王攘夷派は朝廷に岩倉を辞めさせるように圧力をかけるのね、すげぇよな。攘夷派が力をつけていたとはいえ、朝廷に圧力かけちゃうんだから。

結果、岩倉具視は朝廷を去ることになるのね。孝明天皇に命令されて。これが1864年のことね。

 

討幕派との出会い

岩倉具視は朝廷を去ることになるんだけど、この時に薩摩藩の西郷隆盛や、長州藩の木戸孝允そして坂本龍馬や中岡慎太郎と出会うのね。

そして討幕に傾倒していくのね。

そんな時に、岩倉具視に大チャーンス!!

孝明天皇が崩御されるの。これで赦面(しゃめん)されて、すぐさま王政復古の大号令に向けて動き始めるのね。

討幕の密勅は覚えているかな?

薩摩・長州・芸州の3藩が会議で、武力行使による江戸幕府の討幕を会議したよね。

岩倉具視は公家という立場で、薩長の両藩主と結んで討幕に向けて動くわけなんだけども、岩倉具視の側近が起草しているから、実質は岩倉具視が作っていたわけだね。

 

岩倉具視は、王政復古を実現するために慶喜の職を辞めさせて、土地を没収しようとするんだけどこれが戊辰戦争につながるわけだね。

 

この後も岩倉具視は活躍するけど、また次回にするよ。

 

 

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