伊藤博文による内閣制度とは?太政官廃止のお知らせ。

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伊藤博文は憲法の発布に向けて準備を進めるよ。

1882年にヨーロッパに渡り、シュタインやグナイストにドイツの憲法について色々教えてもらったね。条約改正に意気込む日本は、近代国家として認められるために憲法制定が急務だったわけだ。

そして、新しく制定する憲法にそぐうように内閣制度というものも作りあげていくんだよ。

そう、太政官廃止のお知らせです。

内閣制度とは?

1885年に創設した日本国家の最高行政機関!

天皇の指名する内閣総理大臣が国務大臣を率いて行政を行うわけ。

 

1868年に五箇条のご誓文でもって、太政官制度が復活したよね。それを1885年に廃止!

太政大臣、左右大臣、参議、各省卿のお仕事を廃止にしちゃって、代わりに内閣総理大臣と各国務大臣を設けたのね。

もちろんご存じのとおり、伊藤博文が初代内閣総理大臣を務めるわけなんだけども・・・

ここで気になるのが、三条実美だよ!!

三条実美は1871年以降、太政大臣を務めていたわけなんだよね。しかも公卿出身の公爵だから、とーってもお偉いさんだったわけ。太政官制廃止にしたら、三条実美困っちゃうじゃん。

日本人ってのは、そこらへん大事にするじゃん。昔から儒教の精神が染み付いちゃってるしね。

 

太政官制度を廃止して、三条実美どーすんの?

ってことだけど、三条実美は、「内大臣」という天皇の補佐をする役割を務めたのね。内大臣ってのは当時は、政治にはあまり関与しないスタンスだったわけだよ。

 

こういった出来事もあって、内閣制度が成立した時に、宮中に対して政府は府中と呼ばれるようになったわけだね。

 

単独輔弼責任(たんどくほひつせきにん)

現代の内閣制度では、内閣は議会に対して連帯責任を負うよね。

でも、当時の内閣制度は総理大臣と国務大臣は天皇に対してのみ責任を負う形になっているのね。

この輔弼って言葉の意味は、「天皇に対して助言を行うこと」。

 

まぁ、この用語についての細かい部分は置いておくよ。

あんまり深追いしなくても良い単元だからね。

 

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