石井・ランシング協定をわかりやすく 寺内正毅内閣

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嫌いなひとが身近にいたとき、わざわざ直接「お前のことが嫌いだ!」とはいわないよね。

喧嘩になったら面倒だし、そんな時間があったら他のことに使いたい。

 

そんなときは言葉をわざわざつかうひつようなんてないよね。

そっけない態度をとったり、あまりかかわらないようにしたりすれば向こうも多少理解してくれて喧嘩をするようなことはあんまりしないはず。

だいたいにおいて向こうも喧嘩をする労力を使いたくないだろうからね。

 

石井・ランシング協定もこれと似ている。

ささいなことで戦争をしないために日本とアメリカがこれだけは守ろうかと約束を結んだんだ。

お互いがなるべく関わりあわないようにするために。

もちろん、両者はいろいろと妥協したんだけど、戦争したくないからね。仕方がない。

 

それじゃあ、本題に入るよ!

 

 

二十一カ条の要求(ここでくわしくやったよ)をした大隈内閣のあとに政権を握ったのは、

寺内正毅(てらうちまさたけ)!!

 

寺内(てらうち)内閣は1916年から18年まで続くよ。

長州出身でもともとは陸軍に属していたよ。

 

 

寺内内閣が発足したときもまだ第一次世界大戦が続いていたから、寺内内閣も第一次大戦の影響を受けながら政治をしていったんだ。

 

日本は第一次大戦中に連合国として参戦した。

理由としてはドイツのもつ中国の植民地を奪ってしまうためだ。

戦争中なら日本が中国侵略を進めてもヨーロッパ諸国は文句を言う余裕がないからね。

 

でもヨーロッパ以外にも強い国がいたね。

そうアメリカ!

 

とはいえアメリカも無駄に日本と戦争をしたくはない。なるべくなら関わりたくないんだ。

でもアメリカも連合国として第一次世界大戦に参戦することになったんだ。

 

だからアメリカは日本と妥協しながら関わることに決めたよ。

 

それが

石井・ランシング協定(いしい・ランシングきょうてい)!!!

 

日本は石井菊次郎(いしいきくじろう)、アメリカはランシングが締結したよ。

 

これでアメリカは日本に「日本が中国に対して特殊権益をもつこと」を認めたよ。

日本は中国に対して距離的に近い関係にあるし、昔からかかわりがあったからね。

ヨーロッパ諸国よりも権利があることは当然だよ、って。

 

でも日本もアメリカの「門戸開放」を認めたんだ。

これは特定の地域において、すべての国が商業と工業活動の機会を等しく持つべきだというもの。

もちろん中国と日本の関係はヨーロッパ諸国に比べて深いけど、中国における経済活動はどこの国も等しくもつからな、それを破ったらたたじゃおかないからな、という意味なんだ。

 

こうやってお互いに妥協することで無駄な争いを防いだんだね。

 

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