井上馨の井上改正案と欧化政策とは。

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何度も言うぜ!

イテイオアムコ。明日友達にあったら、「よーイテイオアムコ!」「どう?最近?イテイオアムコやってる?」「いやー昨日のイテイアオムコが凄くてさ・・・」と話しかけよう。

馬鹿みたいに聞こえるが、ビックリするくらい覚えるから。twitterでイテイオアムコ!って絡んできたらマジ切れるから!いいか!絶対にそんなことするんじゃないぞ!!

 

今日は3番目。井上馨についていってみよう。

井上馨の井上改正案

寺島宗則がアメリカの同意をこじつけるも、イギリス・ドイツの同意を得られず条約改正は失敗に終わったね。

次は井上馨ちゃんだよ。

井上馨は、第一次伊藤内閣の時に外相を務めていて、条約改正に乗り出した人だ。

 

井上改正案とはこんな感じ。

『外国人の裁判官認めれば・・・どうにかなるんじゃないですかねぇ?』

というもので、領事裁判権の撤廃と輸入関税の一部引き上げの代わりに、外国人裁判官を任用して、居住権・所有権を認めようというもの。

井上馨はこう考えたの。

「寺島宗則は国別に交渉したから、ダメなんだよ!一気にやっちゃおうぜ!!」

これで、条約改正会議を開いたのね、これが1882年のこと。

列国の代表を集めて、外国人裁判官任用でどうですかね~、内地雑居も許可しますんで、どうですかね~とお伺いを立てる会議のことだね。

 

でもね。この時期って何が起きていた?

1882年だよ。

そうそう!!自由民権運動が激化していた時期だよ。福島事件とか、秩父事件とかさ。国内のナショナリズムはかなり高揚していて、外国人の裁判官を任用するとか認められる雰囲気では決してなかったわけ。

 

 

欧化政策と鹿鳴館

井上馨ちゃんは結構、健気な人でね。

外国人の関心を買うために、欧化政策!なんて言っちゃって、外国人の社交場を作っちゃんだよ。

あの有名な鹿鳴館だね。2階建てで毎日踊り狂ったらしい。

 

井上馨ちゃんは欧化政策をして、日本が欧米化していけば外国に認められるんじゃないか!!

って考えたんだけど、国粋主義者だけでなく民権論者にもボコボコにされちゃったわけなんだ。

 

 

井上馨の政策に関して、反対した人物2人ボアソナードと谷千城も覚えておこう。

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