伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』の正確さがすごい。【前編】

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今回は前回までの思想の話からガラッと変わって、「地図」のお話だ。

 

江戸時代で「地図」と言ったら・・・。きっと多くの人がピンと来るんじゃないかな?

そう、今回は地理学者の伊能忠敬についてだ。

 

もともとは商人!?

忠敬は、現在の千葉県に生まれた。

17歳の時に、婿に入る形で商人の娘・ミチと結婚をする。

 

これにより忠敬は商家の跡継ぎとして働くようになる。

 

忠敬は実は商人だったんだ。

順調に商人として実績を積み、天明の大飢饉では庶民たちを救うべく救済措置を行っていたという。

測量を始めたのは50代になってから!?

忠敬は自分の息子が成年となったころから、商人をやめて新しい生活をはじめたいと思うようになっていた。

 

そこで江戸に出て、19歳年下の高橋至時(よしとき)のもとで暦学や測量について学ぶ。

そんな中、蝦夷地の根室にラクスマンがやってきて、北方問題が発生する。

 

これを聞きつけた忠敬は、蝦夷地の測量に大きな興味を持ち始める。

幕府に掛け合って何とか測量の許可を得、北海道まで徒歩で向かうことで途中の江戸や東北地方をも測量して進んでいった。

 

そして蝦夷地に到着してからは北海道沿岸をひたすら歩いた。

道路なんてものは当時なかったから道は険しくて、草履が何度もボロボロになったという。

忠敬は180日くらいかけて回り、地図を作製した。

これが大成功を治め、その後も幕府から測量を頼まれることになる。

 

その後は伊豆・東日本の太平洋側と日本海側、東海・北陸、近畿・中国地方、四国、九州を全て歩いて測量した。

 

 

そして、いよいよ全国地図の作成となる。

・・・んだけど、ここで問題発生。

【後編に続く】

 

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