生田万の乱のときの将軍は?大塩の乱に触発

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前回は、大塩平八郎と彼が起こした「大塩の乱」についてみてきたね。

 

武士であった彼が起こした大規模な武装蜂起に、全国の庶民・武士たちが衝撃を受けたんだったね。

 

今回は、その大塩の乱の影響をモロに受けて発生した乱「生田万(いくたよろず)の乱」について見ていくよ。

この乱も、徳川家斉の時代に起きた。

生田万ってどんな人?

生田万は、館林藩(群馬県)の武士のもとに生まれた。

藩校で儒学を勉強し、江戸では国学を学んだ。

 

のちに私塾を開くようになる。その最中、藩に「藩政改革をしましょう!」と進言するも無視されてしまう。

 

そのため、越後(新潟県)の方へ住まいを移し、桜園塾という新しい塾を開く。

 

移住先の越後で「生田万の乱」を起こす

 

生田万も、乱を起こそうとした理由は大塩とほとんど同じ。

天保の大飢饉で多数の餓死者を出しているにもかかわらず、代官と豪商は米を買い占めて自分たちだけいい思いをし、庶民たちは苦しむばかり。

 

そんなある日、大坂で大塩平八郎が乱を起こしたという情報が入る。

 

生田万は自分を「大塩平八郎の弟子だぁ!」と称して決起する。

代官の居所を襲撃したりした。

 

しかし途中で負傷してしまい、志半ばにして切腹。

 

でもこの乱の影響で、翌日から米の価格が暴落したらしい。

一矢報いることができたんだ。

まとめ

大塩の乱、生田万の乱は、失敗したけれど「幕府の権威が低下してきている」ことを世間に知らしめることにつながった。

 

幕府は何とかしようと、天保の改革を打ち出す。

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