異国船打払令を出した人は誰?なぜ出されたの?

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前回まで、イギリスのフェートン号が長崎で好き勝手やっていった「フェートン号事件」についてみてきたね。

 

これを機に、イギリスから「あれ?日本て弱いの?」と思われはじめ何度もイギリス船が日本に来るようになる。

 

さすがに幕府もこのままではいけないと思って出したのが「異国船打払令」だ。

 

異国船打払令はなぜ出されたの?

 

幕府が外国からの襲撃を警戒するようになったのは、まさにフェートン号事件がきっかけの一つ。

イギリスに好き勝手されちゃったら幕府のメンツが潰れてしまうからね。

 

でも実は、幕府が異国船打払令を出すきっかけはフェートン号事件以外にもいろいろあった。

大津浜事件

水戸藩の領内である大津(今の茨城県)に、イギリス人たちが捕鯨のため日本近海をうろうろしていた。

ある日イギリス船数隻が大津の浜に上陸したため、水戸藩はこれを捕まえた。

 

しかし尋問をしていると、船の中に病人がいて新鮮な野菜・水を補給するため上陸したことが分かった。

 

そのため、水戸藩は水や野菜を与えて船に返してあげた。

 

しかしこの対応はのちに学者から非難されることに。

「そーやって外国人を甘やかすから舐められるんだよ!」と言われてしまう。

 

宝島事件

薩摩藩の領地にある「宝島」という島に、突如イギリス船がやってくる。

そして島民に「牛を寄越せ!」と要求してきた。

 

これを島民が拒否すると、20~30人くらいのイギリス人が上陸して牛3頭を強奪。

海賊かよ・・・。

 

これを見た役人と島にいた武士2人が対抗を開始。イギリス人1人を殺した、という事件が宝島事件。

 

このほか事件にはなってないけど、水戸藩の漁師たちが水戸沖で捕鯨をしていた海外の人たちと物々交換をしていた、ということが発覚した。

 

こういった海外との接触が活発になってしまうと、鎖国の意味がなくなってしまう。

海外の知識を得た庶民たちが幕府転覆を志さないとも限らない。

 

だから今一度、鎖国体制を強化する必要があったんだ。

前編まとめ

日本に迫りくる、異国船の数々。

幕府は権威を示すため、外国人と庶民を完全に遮断するため、老中たちは異国船打払令を出すことになる。

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