異国船打払令とモリソン号事件の関係とは。

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前回は、異国船打払令が出された背景についてみてきたね。

 

庶民が外国人と接触する機会を増えてしまったこと、外国からなめられていることを憂いて異国船打払令を出すんだったね。

 

今回は、異国船打払令で定められた内容モリソン号事件との関係についてみていこう

近づく奴はぶっとばせ!打払令とは。

 

異国船打払令を簡単に言うと、「日本の沿岸に近づいてくる外国の船は見つけ次第砲撃して追い返せ!上陸した外国人はみんな逮捕だ!」という法令。

ここでいう“外国の船”っていうのは、貿易しているオランダや清を除く国々のこと。

 

「二念なく(ためらうことなく)打ち払え」ということから「無二念打払令」とも呼ばれる。

 

モリソン号事件の発生

しかしこの異国船打払令によって、非常に悲しい事件が起こってしまう。

 

異国船打払令が発令中だった1837年、ある船が日本の浦賀に近づいてきた。

この船こそ、問題のモリソン号。

 

日本側はこの船をイギリスの船と断定し、異国船打払令に従ってこの船を攻撃。モリソン号は浦賀を離れた。

 

その後、モリソン号は薩摩に現れ、ここでも沿岸に近づいてきたため砲撃して押し返した。

 

しかし、幕府は大きな間違いを二つ犯していた。

 

一つは、モリソン号はイギリス船ではなくアメリカ船であったこと。

もう一つは、モリソン号は軍艦ではなく、日本人の漂流民を届けに来てくれていた、ということ。

 

つまり、わざわざ遭難していた日本人を届けに来てくれた船を砲撃して、帰らせてしまったんだ。

 

まあ実際はモリソン号側にも「漂流民を返すのと引き換えに日本と貿易できないかな~」とは考えていたんだけど。

非武装の船、しかも日本人を届けに来てくれた船に砲撃を加えたことに日本国内からも批判が続出した。

後編まとめ

モリソン号事件を契機に、異国船打払令に対して学者たちが批判や異論を唱え始める。

 

これを問題視した幕府は、やがて「蛮社の獄」と呼ばれる言論弾圧事件につながっていく。

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