加賀の一向一揆とは?わかりやすく 覚え方も紹介!

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応仁の乱が終わったころ、

下の者が上の者の勢力をしのいでいく現象「下剋上」が盛んに起こるようになったんだ。

各地で一揆がおこっていたらしいね。

今回はその各地で起こった一揆の一つである「加賀の一向一揆」について分かりやすく説明するよ。

一向一揆とは

まず、一向一揆が何かわかる?

 

一向一揆というのは、浄土真宗を信仰する人々が集まって起こした一揆のことをさすんだ。

浄土真宗は近畿・東海・北陸に広まっていて、全国の広い範囲で一向一揆が起こされていたんだ。

 

一向宗というのは、南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽に行くことのできるという教えだったので、

難しい理屈の分からない一般の人でも簡単に信仰することができたんだ。

 

また、一向宗の大元の寺は京都だったけど、応仁の乱でも得てしまったから、越前の吉崎(現在の福井県あわら市)に移って、

さらにその後京都の山科に移ったんだ。

 

こうして寺を転々とした結果、北陸地方でたくさんの信者を得ることができたんだね。

 

 

 

加賀の一向一揆とは

今回説明するのは加賀の一向一揆。

教科書でも太字だからぜひ覚えておくことをお勧めするよ。

 

この一揆は、本願寺の蓮如の布教によって近畿・東海・北陸に浄土真宗本願寺の勢力を中心として、

加賀の門徒が国人と手を結んで、守護である富樫政親を倒して、

約100年間にも渡って自治をし続けたものなんだ。

 

これによって加賀国は一向宗信者にとって住みやすい国になったらしいよ。

 

一向宗の信者の間の結びつきは、信仰を中心にしてお互いがつながっていたから、普通の人の結びつきとは比べ物にならないくらい固い結びつきだったんだ。

 

きっとこの固い結びつきが一向一揆を成功へと導いたんだろうね。

 

この加賀の一向一揆は勢力が大きかったから、

加賀を出て、能登や越中にまで広がったんだ。

 

この加賀の一向一揆に参加した人数はなんと20万人にも達したと言われているよ。

 

そして100年にもわたる自治を続けるわけだけれども、

やがて織田信長や豊臣秀吉に加賀国は征伐されてしまうんだ。

 

でも100年も自治が続くのはやっぱりすごいよね。

 

加賀の一向一揆の覚え方を紹介!

じゃあ最後に加賀の一向一揆の覚え方を紹介するね。

 

意志はは(1488)っきり 一向一揆

 

一向宗の信仰の意思をはっきりと示して、一向一揆をおこしたんだもんね。

一向一揆は各地で起こっていたけれど、この加賀の一向一揆が一番大きい一向一揆だからぜひ覚えておいて。

 

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