池大雅の有名な文人画とは?妻とのエピソードも。

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前回は、優れた写生画を生み出した画家・丸山応挙について見てきたね。

 

応挙は、西洋画の技術を取り入れて、奥行きのある立体的な写生画を描いたんだったね。

後に丸山派という画家集団も誕生した。

 

今回紹介するのは、文人画家である池大雅(いけのたいが)について見ていこう。

池大雅ってどんな人物?

池大雅は、優れた文人画家であるとともにかなりの変わり者だったらしい。

 

京都に生まれ、貧しいながらも中国の書などを学んだ。

幼いころから芸術的才能であふれていたようで、神童と呼ばれていた。

 

やがて中国からもたらされた「南宗画」もマスターし、これを日本の室町時代の絵画や西洋画の要素も混ぜ合わせて、大雅独自の画風を生み出した。

 

ちなみに文人画は以前も解説したかもだけど、中国で生まれた水墨画(山水画)が日本で独自に発展したものだ。

 

そんな大雅の有名な作品は、『十便十宜図』。

与謝蕪村との合作だ。

夫婦そろって変わり者?富士山の逸話。

池大雅には妻がいたんだけど、この妻も素晴らしい絵画の才能を持っていて、結婚した後は「玉瀾(ぎょくらん)」という名前で画家として活躍した。

 

ある日、池大雅が家に来た客人を「ちょっと見送ってくる」といって家を出たっきり、なんと1か月も家に帰ってこなかった。

実は大雅、客人と富士山の話で盛り上がってしまい、「なら今すぐ登りにいこうぜ!」といって家にも帰らず旅に出てしまったというんだ。

 

更にすごいのが池大雅の帰宅後。

妻である玉瀾は、「どこ行ってたの!!」とか「心配したんだからねっ!」とか微塵も言わず、「あ、おかえり~」と言ったとか。

まとめ

池大雅は、非常に優れた文人画を書き残して大きな影響を与えた。

 

ただ、やはり天才は変人と紙一重なのか、なかなか尖った性格をしていたようだね。

これでも夫婦仲は良くて、一緒に楽器演奏したり合作で絵を描いたりもしていたんだって。

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