保安条例とは自由民権運等を弾圧するためのもの。

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さて、今まで三大事件建白運動と大同団結運動をやったね。

三大事件建白運動は井上馨の外国政策に対する批判を皮切りに起きたもので、この三大事件建白運動に呼応して大同団結運動が高揚したんだよね。

これらの自由民権運動に対しての明治政府の取り締まりが、保安条例だよ。

保安条例とは

集会、結社は禁止!皇居から3里の地に追放!

というものだね。1880年集会条例の厳しいバージョンって思っておいて。
自由民権派の人物を取り締まるために出された条例で、1887年の12月26日~28日のたった3日間で570人が取り締まりを受けたんだよ。

取り締まりを受けてから3年間は皇居3里以内に近づくことができないんだよ。

三大事件建白運動を起こした片岡健吉も大同団結運動の星亨もこの保安条例で東京を退去させられちゃったわけだね。

三大事件建白運動が起きて、政府が急遽発布したもので

第一次伊藤内閣の時の内相山縣有朋によって出されたのも押さえておくべきポイントだね。

 

自由民家運動の第3段階

自由民権運動は3つの段階に分けることができるんだけども、頭を整理するためにも覚えておいた方がいいね。

この三大事件建白運動 → 保安条例

ってのは第三段階に属しているんだよ。

第1段階:1874~1877  ( 民撰議院設立建白書~西南戦争)
第2段階:1877~1885 (西南戦争~秩父事件等の激化運動)
第3段階:1886~1889(大同団結運動~三大事件建白運動)
ということなんだね。

1885年の静岡事件を最後に、松方デフレに対する農民の不満を自由党が相まって明治政府を批判する動きが出たでしょ。

ことごとく明治政府は自由民権運動を鎮圧していったわけ。

 

1885年頃から、自由党は解党。立憲改進党は休止。といったん自由民権運動は下火になってしまうんだけどもこの三大事件建白運動で復活するわけだ!!

それでも保安条例でもって明治政府はしっかりと弾圧するわけなんだね。

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