人返しの法(人返し令)と旧里帰農令の違いは?その目的も

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さて、今回から忠邦の行った天保の改革・政策編に突入だ。

 

その中から今回は「人返しの法」(人返し令ともいう)について見ていこう。寛政の改革で行われた「旧里帰農令」との違いも解説するよ。

 

人返しの法はなぜ出されたの?

忠邦が天保の改革を始める数年前、全国的な大飢饉である「天保の大飢饉」が発生した。

 

この影響で、農村部に住む農民たちは米が全く収穫できなかった。農民にとって一番の収入源はもちろん米だったから、当然生活が苦しくなる。

 

そこでお金に困った農民たちは、江戸に出稼ぎ(しばらくの間故郷を離れてお金を稼ぐこと)しにいったり、あるいは故郷を捨てて江戸に引っ越す人々もいた。

 

農業だけでは生きていけなかったんだ。

 

しかし、こうして農民たちが次々農村を離れて都市で働くようになってしまうと、農村で米を作る人がいなくなってしまう。

 

年貢収入は米だから、米の収穫量が下がれば幕府の収入も下がる。

 

おまけに江戸に農民が多数流入することで、都市の人口増加がえらいことになってしまった。

これを忠邦はマズイことだと思った。

 

そこで出されるのが「人返しの法」ってわけだ。

人返しの法の内容

人返しの法は、江戸に滞在している元農民をみんな強制的に故郷に帰らせようとした法令。

 

とはいっても、この法令が出される前までに農村部の家や田畑を引き払って、家族ごと引っ越してきた人たちも多くいた。

この人たちを農村に返しても意味がない。

 

だから実際には、「この法令が出た後に江戸に来るのはダメよ」「出稼ぎの人は農村に家があるんだから、帰りなさい」という法令だった。

旧里帰農令と人返しの法の違い

寛政の改革のところでもちょっと触れたんだけど、人返しの法と旧里帰農令の違いは「強制力があるか、無いか」だ。

 

定信の時代に出された旧里帰農令は、「あのー、米作ってもらいたいんで農村に戻ってくれませんかね・・・。お金は多少出すから」という奨励法だった。

 

一方人返しの法は「オラさっさと農村戻って米作らんかい!援助?知らんわそんなん」という強制力のある法令。

 

まとめ

人返しの法を出したはいいけど、そもそも人返しの法が出される前から農村部の疲弊は限界に達していた(度重なる飢饉や年貢で)。

 

そこに多少農民が戻ったからと言って大幅に年貢収入が増えるわけもなく、結果的にはこの政策は失敗に終わる。

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