五稜郭の戦いと土方歳三。戊辰戦争終了のお知らせ

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さて、戊辰戦争もいよいよ大詰めだ。

京都での鳥羽伏見の戦い → 江戸無血開城 → 会津の戦い ときて今日は五稜郭の戦いだ!日本史組はこの4つの流れを掴んでおくだけでも戊辰戦争が問題に出たらガッツポーズが取れるぜ。

日本人の大好きな土方歳三が戦士する戦いで、かつ戊辰戦争が終わるのが五稜郭の戦いだよ。

 

よし。今日もはりきっていこうか!

五稜郭の戦い

五稜郭ってのは、ヨーロッパ風の星形の城塞でね。今も観光地として多くの日本人が訪れているの。

函館にあるよ、函館。北海道だね!

この五稜郭がそもそもできた経緯ってのは、日米和親条約で函館を開港させられたでしょ?そこで、江戸幕府が蝦夷地の防衛を強化するために、西洋風の城塞を函館に作ったんだよね。

 

京都の鳥羽伏見から始まった戦争が函館までいくなんてすごくない?

よもや日本の半分くらいで戦争しているわけだから、かなりの大規模だよ。

で、ちょっと話を戻すけど。

勝海舟が新政府軍のお偉いさん西郷隆盛を説得したことで、江戸は無血開城したよね。

それに不満を持ったのが、榎本武揚(えのもとたけあき)ね。こいつは幕臣でオランダに留学経験もあった海軍奉行なの。江戸が引き渡されちゃうから、北へ北へ逃げていって奥羽越列藩同盟でも実は戦っていたんだよね。そこで新撰組の土方歳蔵を仲間にして、蝦夷地・函館を占拠したわけ。

榎本武揚と土方歳蔵は奥羽越列藩同盟にもっと頑張ってほしかったんだけど、仙台・米沢 → 会津とどんどん降伏していっちゃったからさ。

さらに北へ向かっていったわけだね。

 

この函館占拠を耳にした新政府は許さないよ。

 

すぐに新政府は総攻撃で函館を攻めて、その闘いの中で土方歳三は命を失うことになる。

榎本武揚もこう降伏をして、五稜郭の戦いは終わりを迎えるよ。

 

榎本武揚は死なないの?

みんなの英雄土方歳三はこの五稜郭の戦いで命を落としてしまうね。

でもさ、明治以降の日本史をすでにかじっている人は知っているんじゃない?榎本武揚って、もうちょいあとの1875年樺太・千島交換条約を締結したり、色んな職を務めているんだよね。

「え?え?旧幕府軍で新政府と戦ってたんじゃないの?」
「官軍に抵抗してたんだよね?お咎めなし??」

 

と、思うんじゃないかな。

良いね~、そういった疑問から理解は深まるんだよ。

 

もちろん、この五稜郭の戦いで榎本武揚は牢屋に入れられるんだよ。

長州藩の木戸孝允なんかは、「榎本武揚に極刑を!!」と意気込んてたくらいだからさ。

 

でもね、後の首相黒田清隆らが、「榎本は物凄い能力の高い人物だ。許してやってくれ、新政府の力に必ずなる!」

と頭をまんまるに剃ってまでみんなに懇願するのね。それで、榎本武揚は許されるのさ。

黒田清隆ってのは薩摩の武士でね。薩長同盟の時にも中心的に動いていた人物なんだよね。
いやー、かっこいい!!!だって、黒田清隆って薩摩の人間だよ。それが旧幕府軍の榎本武揚助けちゃうんだからさ。

こういったエピソードも戊辰戦争の理解を深める好材料だよね。

 

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