菱垣廻船・樽廻船、北前船を一挙に解説!何を運んでたの?

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前回は、河村瑞賢によって整備された「東廻り航路・西廻り航路」について見てきたね。

 

今回見ていくのは海上輸送で活躍した『貨物船』について。

 

なんだつまらなそうな話だな、と思うなかれ。

現代でいう企業間の競争みたいな、面白い展開があるんだよ。

菱垣廻船、樽廻船ってなんなのさ

 

菱垣(ひがき)廻船

菱垣廻船は貨物船のことで、寛永の時代(将軍は徳川家光)に泉谷平右衛門という人が江戸積問屋を開いたことに端を発する「貨物運送業」に用いられた。

 

運んでいたのは、米や酒などをはじめとした日常生活で使う物資全般。

 

通った航路は「南海路」と言われるルートで、大坂と江戸を結んでいた。

 

この菱垣廻船には、誤った通説として指摘されている点が一つある。

教科書に「船べりに積み荷が落ちないように竹やヒノキなどで菱形の垣を作ったことが名前の由来」と書かれているモノがあるんだけどこれが間違いで、ただの装飾だったという。

 

未だに教科書に載ってるんだから驚きだ。

 

樽廻船

これは菱垣廻船より後発の船。特徴は、菱垣廻船より小型で積載量が小さいけど、逆に積み荷のスピードが速いこと。

もともと菱垣廻船問屋に所属していた大坂のある商人が、大坂で作られたお酒(下り酒)を江戸まで運ぶことを目的として樽廻船を運用し始めたのがはじまり。

 

この樽廻船の登場によって、菱垣廻船との熾烈なバトルが始まるよ!

 

菱垣廻船と樽廻船の競合

 

さっき話したように、菱垣廻船と樽廻船を比較すると、純粋な積載量では菱垣廻船に軍配が上がる。

 

これだけ考えるとこの二つが競合したら菱垣廻船の勝ちなんじゃないの?と思うかもしれない。

 

でもここからが面白いところ。

 

樽廻船はもともとお酒を運ぶための船。なんでこれが必要だったかというと、「お酒が腐敗しやすいものだった」から。

 

菱垣廻船は積み荷が多い分、出航するまでかなり時間がかかってたんだ。

 

これを改善しようと立ち上げたのが樽廻船問屋だったのね。

 

樽廻船は小さい分すぐに積み荷を終えて出航できるから便利だった。

 

加えて、お酒を載せたあとの空きスペースで「おまけ」として他の積み荷を安く載せていってあげるサービスを始めたら利用者が激増。

 

かくして菱垣廻船と樽廻船の競合が始まった。

 

 

競合していく中で、「樽廻船でのみ運ぶもの、菱垣廻船のみで運ぶものを分けて、お互い共存しようぜ!」という協定が結ばれたんだけど、結局これは守られず。

 

最終的には樽廻船の「早さ」がポイントになって、菱垣廻船は徐々に衰退していった。

 

ところで北前船は何なの?

 

北前船は、東北の産物を「西廻り航路」を使って日本海側の各地に寄港して、大坂に届けていた船。

樽廻船や菱垣廻船とは特に関連してはいないんだ。紛らわしいことに。

 

船自体も樽廻船や菱垣廻船とは違って日本海仕様にチューンナップされている(全体的に船が強化されている)。

 

まとめ

どうだったかな。意外と面白かったでしょ?

 

菱垣廻船は結局衰退していっちゃったけど、菱垣廻船や樽廻船があったことで江戸の海運は発展できたことも事実だね。

 

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