豊臣秀吉を簡単に、わかりやすく。【九州平定~天下統一】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

前回は、四国平定と惣無事令の発令について見てきたね。

四国のほとんどを支配していた強力な大名・長宗我部氏を下し、西日本を制覇せんと惣無事令を発して下準備していたよね。

 

さて、今回は九州の平定、さらに北条氏の小田原城を攻めて天下を取るまでを見ていくよ。

 

惣無事令違反の島津氏を処す!

四国で長宗我部氏が一気に勢力を伸ばしたように、九州でも一気に勢力を伸ばした大名がいた。

それが、薩摩の島津氏だったね。

 

そんな九州のほぼ全土を支配する勢いの島津氏に待ったをかけたのが秀吉だったわけだ。

惣無事令以後も九州制覇の動きを止めなかったため、秀吉は惣無事令違反として攻撃を開始。

 

一回目の攻撃では秀吉側の司令官が無能だったこともあって惨敗。

しかし秀吉は二回目で20万の大軍をぶっこんで見事勝利を飾る。

 

まさに数の暴力。

こうして九州平定も完了する。

豊臣秀吉のまとめ!⑧島津義久を倒して九州平定

関東・東北も下して天下統一、達成!

九州平定を終えると、秀吉は一転関東の北条氏を攻めに向かう。

というのも、北条氏も惣無事令を無視して真田氏に攻撃を加えていたから。

 

北条氏との決戦は、北条の居城・小田原城で行われた。

降伏勧告をしても応じなかったので、大軍で包囲し長期戦の末、撃破する。

 

北条氏との決戦あたりで、東北の大名・伊達政宗や最上義光らは秀吉の強さに恐れをなして秀吉のもとについていた。

豊臣秀吉のまとめ!⑩小田原攻めによって東北大名も制圧

まとめ

九州平定、小田原攻めを経て、ついに全国の大名が秀吉のもとにつき、天下統一は達成された。

しかし、この後秀吉は大きな失策をかます。

 

朝鮮出兵だ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

オススメの動画コンテンツ

低料金で最大の効果を発揮するコンテンツ

・音情報で理解を高めたい
・知識を入れながら、流れも理解したい
・息抜きに動画で学習したい

方はスタディサプリの動画コンテンツがオススメです。【14日間の無料トライアル】ができます。

スタディサプリの無料体験

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*