ヒュースケン暗殺からわかる攘夷派の過激っぷり。

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日米修好通商条約の後に、大老井伊直弼は殺された。

天皇の勅許なし勝手に条約を結んだし、安政の大獄でもって幕府を批判する人たちを弾圧したからね。桜田門外の変は尊王攘夷派の運動を激化させる内容だけど・・・

ヒュースケンの殺害こそが、攘夷運動の第一歩なわけだ。

だって攘夷ってのは外国人うぜぇ、タヒねよってスタンスだから。このヒュースケンについてちょっと知っておこうか。

ヒュースケンって誰だ?

ヒュースケンは駐日アメリカ公使館の通訳ね。オランダ人。

オランダ人ってところがいいよね。ちょっと戻るけど、日本は鎖国でもって諸外国と貿易してなかったわけじゃん?でもオランダとだけは長崎で貿易を続けていたわけ。

杉田玄白の蘭学しかり、緒方洪庵の蘭学しかり。江戸時代の知識人が蘭学の影響を受けていることはわかるよね。

江戸幕府はオランダに「オランダ風説書」を提出させていたし。

そう。日米修好通商条約の交渉をしにきたハリスは日本語がわからないわけ。

日本の知識人は必死に外国の言葉を覚えてから外国に行くわけだけども、ハリス様はアメリカ人様だから、「日本語喋れるやつ使えばいいんじゃね?」ってことで、

抜擢されたのがヒュースケンだ。日本はオランダとずっと貿易してたから、貿易の言語は公用語はオランダ語だったわけね。ヒュースケンちょうどいいじゃん!

 

1856年にハリスの通訳として来日してるよ。だからハリスがちょうど交渉に当たるところだよね。

 

このヒュースケンなんだけども。1860年(万延元年)に麻布善福寺で攘夷派の労使に暗殺されるの。

江戸幕府はヒュースケンの母親に1万ドルの賠償金を支払うことで事をおさめたよ。

 

攘夷派の激化

外国人を直接殺しちゃったこの事件は攘夷組の激化を予兆する第一歩になるね。

東禅寺事件というのが1861年に起きるんだけども水戸浪士がイギリス仮公使館を襲撃したり、1862年には高杉晋作らが、建築中のイギリス公使館を全焼させちゃうし。

攘夷派はどんどん外国人殺傷していくわけなんだわ。

 

外国が武力で日本を開国させたから、武力で外国を追い出そうぜ!

 

ってのが攘夷派の考え方だよ。特に長州藩は攘夷の色が強くて下級武士を中心に外国人を攻撃しまくったわけだね。

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