薩長の藩閥政府の意味とは揶揄された言葉であった。

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薩摩と長州の悲願、「討幕」を達成してから、明治維新でどんどんと改革をしていくよね。

もちろんこの改革の中心には薩摩と長州が行っていくんだけども、あまりにも薩摩と長州が政治を独占するから不満を言い始める人も出てくるわけね。

これを藩閥政府と言うよ。
今日はちょっと時代が飛んじゃうけど、藩閥政府についてみていこう。

藩閥政府とは

1871年の廃藩置県の後に、明治政府は中央政府から府知事・県令を送り出したよね。

そしてその前後では太政官を中心とする官制が作られていったよね。この役職についている人たちが薩摩・長州の人間ばっかりだったわけ。
薩摩・長州以外にも土佐・肥前もかなりの数が要職に就いたいたね。

この薩長土肥が要職を独占した状態を「藩閥政府」と言うんだよ。

 

後々やるけど、西郷隆盛が西南戦争で敗れて、大久保利通が紀尾井坂の変で暗殺されると薩摩の勢いはなくなっていくんだ。

で、長州の一人勝ち状態が続いて、内閣制度が出来上がった後も。薩長中心の人物が首相や大臣、元老なんかを務めていったんだね。

学閥!って言葉聞いたことがあるでしょ?

大企業に就職すると、出身大学でグループが出来る的なさ。特にバブル時代は出身大学によって出世できたり、出向させられたりと縄張り意識が強かったらしいよ。

学閥って言葉を覚えていれば、藩閥も理解しやすいんじゃないかな。

 

自由民権運動が激化してきた時は、薩摩と長州の特権階級はかなり批判の的になって、大正デモクラシーでは、打倒!薩長くらいの勢いだったらしいよ。

 

まぁかなり歴史が飛んじゃうから、今日はこの辺にしておくけど

藩閥政治の終焉を迎える部分もなかなかおもしろいから楽しみにしててよ。キーワードは公家の西園寺公望だね。

おたのしみに!

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