ハーグ密使事件をわかりやすく 伊藤博文暗殺まで

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みんなは「もし私が日本人でなくなったら」と考えたことがあるだろうか。

げんざいはさまざまな文化が日本に入り乱れ、「日本の文化」というのが見えにくくなっているから、

リアリティーをもって考えられないかもしれない。

 

でも、いままでやってきた慣習をむりやりやめさせられ、やりたくもないことをむりやりやらされる。それだけでとても苦痛だと思うんだ。

これまで培ってきたアイデンティティーが合理的な説明もなくつぎつぎと破壊されていってしまう。

 

それはとても辛いことだし、「慣れ」ではどうにもならないんだ。

だから、自分の文化を奪われ、まったく馴染みのない文化を押し付けられたひとたちは、この押し付けに抵抗しようとする。

 

それじゃ、本題に入ろうか!

韓国の抵抗

 

1907年にオランダのハーグというところで戦争をしないためにさまざまなことが議論されていたんだ。

この会議は、ハーグ万国平和会議(はーぐばんこくへいわかいぎ)というよ。

とはいっても参加国は植民地をもっているような強い国。現在議論されているようなほどには平和的なものではなかった。

 

日本に奪われた外交権を回復するべく、韓国皇帝はその会議に使いを派遣したんだ。もちろん、明治政府には内緒で。

これを

ハーグ密使事件(はーぐみっしじけん)

というよ!

 

韓国皇帝が「ハーグ」に秘「密」の「使」いを送った「事件」ね!

でも、外交権を回復するために来たのに「外交権がないのだから国際会議に参加する資格なし!」といわれて韓国皇帝の使いは追い出されてしまったんだ。

 

日本の怒り

 

国際会議で恥をかいてしまった日本。統治力の甘さを反省してさらに韓国を自分の国にしていったんだ。

それが1907年7月、

第三次日韓協約(だいさんじにっかんきょうやく)!!

 

この協約で日本はさらに韓国が自分の政治を自由にあつかえないようにして、内政権を奪ったんだ。

これに加えて日本は

韓国軍隊解散(かんこくぐんたいかいさん)

させたんだ。

 

そのせいで韓国軍の一部がゲリラになって

義兵運動(ぎへいうんどう)または義兵闘争(ぎへいとうそう)

がはじまった。

 

 

韓国の怒り

 

義兵運動をしていた安重根(あんじゅうこん)。このひとが日本にたいして怒りをぶつけるんだ。

それが1909年10月、

伊東博文暗殺事件(いとうひろぶみあんさつじけん)!!

 

日露関係の調整のためにロシアのお偉いさんと列車会談をしていた伊藤博文。

会談後、満州のハルビン(はるびん)駅で安重根に暗殺されたんだ。

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