御成敗式目をわかりやすく!定めた人やその目的について。

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北条泰時の執権就任以後、鎌倉幕府の政治体制が大きく変わる。

 

政子と義時っていう北条家の中でも頭一つ出てるような権力者が次々死んでしまったんで、地固めが十分じゃなかった泰時は連署と評定衆を作って合議制にしたんだったね。

 

で、これとは別に泰時は法整備も進めていった。その法っていうのが、御成敗式目だ。

今回は御成敗式目を詳しく見ていこう。

武家諸法度ができた背景

そもそも鎌倉時代初期にはね、武士を裁く“成文法”、要するに文章になってる法律がなかったんだ。

じゃあそのころ武士は悪事働いても裁かれなかったのか、というともちろんそうじゃない。

 

鎌倉時代初期は、「武士的にこれは常識でしょ」っていう慣習や道徳道理という)によって裁かれていた。おおざっぱに言えば暗黙のルールみたいな感じだね。

この“道理”に基づいた裁判で初期は特に問題なかったんだけど、泰時が執権になるころにはもう鎌倉幕府ができてから50年近くは経っていた。

すると道理に基づく裁判に限界が出てきた。

 

鎌倉時代が進むにつれて、道理がどんどん複雑に、大量になっていってしまったんだ。

 

裁判の基準になる「道理」が文章化されてなかったために、人によって解釈が違ったり判決が違ったりするようなことが多々起きるようになった。基準がハッキリ分からないが為に混乱が起きるようになってしまったということだね。

 

これが御成敗式目制定の理由のひとつ。

 

もう一つの理由は、泰時の時代に発生した全国的な凶作による大飢饉。

寛喜の飢饉って言われるんだけど、これがかなり凄まじい飢饉だったらしい。

 

幕府周辺の道の脇に、餓死した人の遺体があちこちにあって、町中に腐臭が充満していたなんて史料も・・・。

 

当時の世紀末のような風景が想像できるよね。世の中がそんな状態だと当然治安も悪くなってくる。

飢饉で増えた犯罪者を取り締まるためにも、ちゃんと条文化された法律が必要になったわけだ。

 

こうして誕生するのが、御成敗式目だ。

日本で最初の武家法・御成敗式目

先の項で説明したような、「裁判の基準が文章化されていない」ことの弊害(へいがい)を解決すべく、泰時ら幕府の首脳陣は「御成敗式目」を制定した。

 

御成敗式目の内容をざっくりいうと

  • 御家人が持つ権利や義務について
  • 所領(御家人が与えられた土地)の相続について
  • 各種犯罪行為の罰則について

とまあこんな感じ。全部で51ヵ条ある。

 

ポイントなのは、この御成敗式目頼朝が幕府を作って以来の判例や道理をもとにしたものである、ということ。先例ともいう。

要するに鎌倉幕府設置以来50年間くらいで常識とされてきたこと、または裁判で実際に出された判決なんかをまとめたもの、ってイメージだ。

これが日本で最初の武家法となった。

 

この御成敗式目は後世になってもずーっと効力を持ち続けていく法令で、室町時代・戦国時代・江戸幕府に至るまで条文が追加されたりしながらも受け継がれていった。

明治時代になって近代的な法律が作られるまでずっと日本の武士の法律として機能していたんだよ!

 

ちなみに、この法律を守らなきゃいけないのは武士のみ。

公家たち貴族や、荘園関係者たちには武家法とは別に、公家法・本所法が作られた。

 

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