江戸時代の蝦夷地との関係をわかりやすく!

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前回は琉球と日本の関係についてだったね。

琉球はもともと明(清)と冊封関係だったところに、島津氏の侵略で日本にも服属することになったんだったね。それ以後日本には慶賀使や謝恩使が送られるようになった。

 

さて今回はシリーズ第三弾。蝦夷地(現在の北海道)と日本の関係について見ていくよ。

蝦夷地と松前藩

江戸時代の蝦夷地を語る上で絶対外せないのが、松前藩の存在。

松前藩は、かつて戦国時代に起きた和人とアイヌ人との戦い(コシャマインの戦い)で台頭して、以来和人優位の状態を保ってきた。

この松前藩の何が重要かというと「家康からアイヌとの交易独占権を得ている」ということなんだ。

 

さて、今回のキーワードの一つ「アイヌ」。みんなもアイヌの人々については多少知っていると思う。

アイヌ人は元々蝦夷地方に住んでいた民族で、いわば蝦夷の原住民だったんだね。そこに戦国時代あたりから、本州の人間(和人)が積極的に(半ば強引に)関わっていって、明治時代では無理やり近代化させられてアイヌ文化が壊滅的になってしまったんだったね。

 

ところでこの江戸時代では、一応松前藩を筆頭に和人の優位であったんだけど、まだまだアイヌの人々の不満はたくさんあったんだ。そしてこの不満が爆発したのが、「シャクシャインの戦い」、そして「クシナリ・メナシの蜂起」だ!

シャクシャインの戦い/クナシリ・メナシの蜂起

まずはシャクシャインの戦いについて見ていこう。起こったのは1669年で、町の首長だったシャクシャインが全てのアイヌ人に訴えかけて団結し、松前藩に反抗した、っていう事件だ。

しかしその最中にシャクシャインは殺されてしまい、アイヌの人々の降伏で鎮圧された。

この戦いは近世で最大と言われるほどに大きなものだった。

 

次にクナシリ・メナシの蜂起。これはシャクシャインの戦いから少し時間があいて1789年。

和人があまりに好き勝手やるんで「許せん!」となった国後島・知床半島のアイヌ人が立ち上がったわけなんだけど、これも鎮圧。これがアイヌ人の最後の抵抗となった。

 

場所請負制

松前藩がらみのキーワードとしてもう一つ。当時蝦夷地は耕地が乏しくて、松前藩に属する藩士に対して耕作地を給料としてあげることができなかったんだ。そこで代わりに褒美としていくつかの場所で「アイヌの人たちと交易する権利」を与えたんだ。商場知行制ともいうよ。

 

今回はここまで!

 

 

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