アーネストサトウは佐藤さんであり、佐藤さんでない!

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イギリスの外交官アーネストサトウさん。

私は高校生の時はてっきり佐藤さんだと思っていたんだよ。おそらく多くの日本史組はアーネストサトウさんは、「珍しいな~。この明治時代に日系なのかな」なんて思っているはずだ。

しかーし!佐藤さんであり、佐藤さんでないのだ。今日はこの謎を解明したいと思う。

アーネストサトウのサトウはSatow!

何たる偶然ということで、サトウという名字は日本語ではないのだ。

スラヴ系の珍しい名字でSatowというのだ。本当偶然に日本にきたイギリスの外交官がサトウさんだっただけなのね。

でもって、そんなサトウさんは日本の名前を作ったんだけど、それが佐藤愛之助。だから佐藤さんであり佐藤さんではないのだ!

ということでした。

 

アーネストサトウはオールコックの口添えで日本にやってくるわけなんだけども、

日本の漢字が大好きだったんだって。で、日本人の異常な識字率にビックリして、日本が大好きになって日本人の奥さんを作って、子供3人も作った強者。

生麦事件・薩英戦争の最中に日本に来たのにイギリス人で日本を好きになるなんて、なかなか変わっているよね。

英国策論を書く

アーネストサトウは若干22歳の時に、「ジャパンタイムス」に匿名で論文を寄稿していたのね。

ジャパンタイムスってのは貿易の要だった横浜で発行されていた、週間英字新聞。

アーネストサトウは薩摩藩の大名が横浜に船でやってくるのを目撃したのね。当時諸大名は外国との直接貿易禁じられていたのに、貿易しに来ていたのを見て、

「大名は外国との貿易に興味を持っている」
「将軍の力は衰えている」
「将軍なんて廃止して、諸大名と天皇が実験握ればいいじゃん」

などなどの、政治的見地を論文に書いてたの。これって倒幕を示唆するような内容だったから超おもしろくね?

「―外交官から見た明治維新」っていうアーネストサトウの後の自叙伝に政治的見地を書き始めたきっかけが載っているね。

あの西郷隆盛も英国策論を読んでいたってんだから驚きだよね。

 

アーネストサトウの英国策論は明治維新の原型になるような一文って言われてて、討幕組はよくサトウの言葉を引用していたんだって。

 

 

これでアーネストサトウのことが良くわかったね。

前にも言ったけど、ここらへんは外国人の名前がたくさん出てくるからさ。エピソードとか、その人の人物像で覚えていくしかないよね。

アーネストサトウは日本大好きで、日本人女性との間に3人の子供がいたんだよね。サトウ自身はずっと日本にいたわけじゃなくて、イギリスに戻っているんだけど、日本人妻に500通くらい手紙を送ったり、ずっと仕送りをしたりとちゃんと愛してたらしいんだよ。

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