織田信長を簡単に、わかりやすく。【朝倉・浅井滅亡】

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前回は、足利義昭の京都追放について見てきたね。

義昭は、信長とのすれ違いから信長包囲網を作り、武田信玄らとともに一時は追い詰めたんだった。

しかし信玄の死によって形勢逆転してしまったんだったよね。

 

今回は、いよいよ朝倉・浅井氏の滅亡と石山戦争についてだ。

一乗谷城・小谷城の戦い

武田信玄の死、さらに信長包囲網言い出しっぺの義昭も追放されたことでいよいよ立場が危うくなってきた朝倉・浅井連合軍。

 

浅井は小谷城に籠城、朝倉軍は浅井軍を守るように前衛を張った。

しかし、朝倉軍は織田軍にアッサリ敗北。

 

そのため浅井軍を守るものがいなくなってしまう。

ついに包囲され、浅井長政は自刃する。

織田信長についてのまとめ!⑪一乗谷城&小谷城の戦い

石山戦争と一向一揆

信長は、天下統一に向けて石山本願寺の制圧をもくろんでいた。

というのも、石山本願寺があったところは立地的に素晴らしかったから欲しがっていたんだ。

 

しかし本願寺はこれを拒否して戦う姿勢を示し、さらに背後に毛利輝元もついてしまう。

 

この影響で戦いが非常に長引くことになり、信長はたびたび一向一揆による襲撃を受けてしまった。

織田信長についてのまとめ!⑫石山本願寺と『石山戦争』

まとめ

信長は浅井・朝倉を下し、石山戦争も何とか乗り切る。

そしていよいよ天下統一も大詰めに近づいていく。

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