第二次護憲運動とは?わかりやすく 加藤高明内閣

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第一次護憲運動(ここで詳しくやったよ)と第二次護憲運動と両方あるけど、第一次護憲運動は民衆のデモにまで発展した運動だったね。

 

でも第二次護憲運動は民衆を巻き込まない運動だったんだ。

貴族院を中心とする清浦内閣に対して、国民が選んだ本格的な政党内閣でないとだめだ!と抗議をしたんだ。

そして清浦内閣を解散させるために3つの政党が団結して選挙で戦うんだ。

 

これが第二次護憲運動。

第一次護憲運動と比較するととても静かな運動だったんだね。

 

それじゃあ、本題にはいろうか!

 

 

山本権兵衛内閣のときに関東大震災(年号は1923年)がおこったんだけど、いろんなごたごたがあって山本内閣は総辞職してしまったんだ。

 

そして次に首相になったのが、

清浦奎吾(きようらけいご)!!!

 

この

清浦内閣

発足をきっかに

第二次護憲運動(だいにじごけんうんどう)

がはじまるよ。

年号は1924年ね!

 

なぜかっていうと、この清浦内閣は貴族院を中心とした内閣で、衆議院にも参議院にも関係のない内閣だったんだ。

 

だから原内閣の政党内閣(ここで詳しくやったよ)でデモクラシーを感じていたのに、また国民に選ばれたのではない内閣のはじまりだ!ということで反清浦内閣の流れがやってくるんだ。

 

この流れにのって三つの対立していた政党が団結し始めるよ。

 

 

その政党は

憲政会(けんせいかい)

革新倶楽部(かくしんくらぶ)

立憲政友会ね!!

 

代表はそれぞれ

憲政会の加藤高明(かとうたかあき)

革新倶楽部の犬養毅、

立憲政友会の高橋是清ね!

 

この第二次護憲運動をした三つの政党をあわせて

護憲三派(ごけんさんぱ)

というよ。

 

でも清浦内閣と戦うといっても、政治での戦いは選挙の議席数だね。

選挙でたくさん投票を得た内閣が勝ち!

 

そこで護憲三派は清浦内閣が絶対反対している政策を実現させることを目的にかかげたよ。

それが「普通選挙を実現すること」なんだ。

 

なぜかっていうと対立している点がはっきりしないと投票権をもった人たちに「別にどこの党でも同じかな」と思われてしまうから。

それに本来なら政党の様々な要素を考慮にいれて投票をするべきなんだけど、投票権を持った人たちに「あなたは普通選挙に賛成ですか、反対ですか」と激しく問いかけることで彼らにそれだけを考えて投票すればいいというメッセージを送ることができるから。

 

あとは護憲三派も本来は思想が一致しない政党だったから何かしらのわかりやすい大義がないと団結できなかったんじゃないかな。

 

 

でも普通選挙が実現されることに立憲政友会の高橋是清が賛成したけれども、立憲政友会には普通選挙反対派がたくさんいたんだ。

この結果、立憲政友会は普通選挙賛成と反対派で分裂したよ。

 

このうち普通選挙反対派は

政友本党(せいゆうほんとう)

という党を新しくつくったよ。

賛成はそのまま立憲政友会ね!

 

こういった状況下で選挙が行われたよ。

結果は憲政会(けんせいかい)だけが議席数を増やしたんだ。

 

とはいっても護憲三派で過半数を超えたから第二次護憲運動は護憲三派の勝利に終わったよ。

 

こうして護憲三派内閣が誕生した!

首相になったのは憲政会の代表

加藤高明(かとうたかあき)!!

 

第一次加藤高明内閣が発足したんだ。

 

この清浦内閣の発足から加藤高明内閣の発足までを

第二次護憲運動(だいにじごけんうんどう)

というよ。

 

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