黒田清隆の超然主義は理解しづらいかもしれない。

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今日は超然主義についていってみよう。

大学受験の日本史勉強している時に、今までの流れがわかっていないとこの「超然主義」ってのは理解しづらいかもしんない。

超然?はぁ?って俺も思ってたもん。いやー、こーゆー時に流れって大事なんだーって痛感するよね。

 

黒田清隆が2月12日に、「俺ら、超然なんで!!」って宣言したんだけど・・・今日はそれについていってみよう。

 

超然主義とは?

まず、超然主義についてね。

超然主義って言葉を辞書で引いてみよう。

  • 他の動きには関知せず、自分の独自の立場から事を行う主義

これが超然主義ってことだね。

俺は俺だから!!

ってのが超然主義だって考えておけばいいよ。

つまり、帝国議会が開かれて衆議院は民から選ばれるけど、政党の動向なんかに俺らは振り回されないから!って総理大臣の黒田清隆が表明したのね。

 

 

ん??どーゆーこと?

と思うかもしれないね。今の日本国憲法だと中学校の公民でやったかもしれないけど、内閣と国会は連帯責任だよね。

でも、黒田清隆が言いたかったのは、

内閣は内閣!国会は国会!国会の意見には振り回されないから!だって超然だもんねー!!

ってことなの。憲法発布の翌日に地方官を集めて演説したんだよ。

 

伊藤博文も超然を発表

ご存じのとおり、日本の初代内閣総理大臣は伊藤博文だよね。

第一次伊藤内閣は1885年~1888年4月30日のことでね。その時には議会ってのはまだ無かったんだよ。黒田清隆が超然主義の演説をした時もまだ議会は開かれてなくて。

 

ようは、衆議院ってのを設けるから

「民に政治をのっとられんじゃないか」

と戦々恐々としていたわけね。自由民権運動の物凄い盛り上がりを経験している人たちだから。

 

こういった背景から、民選で選ばれた衆議院議員達をけん制する意味もあって超然主義の演説をしたわけなんだよね。

「議会は開くけど、お前らの意見には左右されない」

って宣戦布告。

 

1889年2月12日に黒田清隆が超然主義演説をして、後に伊藤博文も、「うん、やっぱ俺らって超然だよね」って発表しているよ。

 

この超然主義ってのは1910年の大正時代まで続いていったんだけど、あの有名な護憲運動によって幕を閉じていくよ。

 

 

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