明治時代の徴兵令で血税一揆が起きる!

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明治維新はどんどん進むね。

次の改革は徴兵制だよ。お隣韓国は徴兵制だから男子はみんな軍隊で訓練しなきゃいけないわけだけど、日本人にはあまり馴染みがないかな?

今、「日本も徴兵制にします!」と言ったら、みんなどうする?反対するよね?

それが血税一揆なわけだ。

徴兵令と徴兵告諭

1872年11月にまず、徴兵告諭が出されるよ。読み方は、「ちょうへいこくゆ」ね。

太政官から布告されたもので、

「徴兵令出しますからね!」

という宣言みたいなものだね。庶民に対するお知らせが、徴兵告諭。
「・・・西人コレヲ称して血税トイウフ。ソノ生血ヲ以テ、国ニ報ズルノ謂ナリ」

ここで、「血税」という言葉を始めた聞いた庶民は、ビックリして、「ヤバイ!血が取られるらしいよ!どうしよう!!」とマジで慌てたらしいよ。噂は広まり広まって、若い女の血を諸外国に送る!みたいな勘違いも広まったんだとか。

これは負担の重い税金を例える言葉だったんだけど、マジの血だと思ったんだって。

 

ちょっと話戻すね。

もともと戊辰戦争の時もそうだけど、志士が戦争に参加していたよね。

国民も一部参加していたけど、この人たちは有志だったんだよ。

だから、早くから山縣有朋や大村益次郎は、「国民皆兵」を必要性を説いていたの。

実は、国民皆兵ってのは意外にもすんなり受け入れられなかったんだよ。

なんでかっていうと、みんなを兵隊にする!ってことは、武士も庶民もみんな徴兵するわけだから、四民平等にしなければならなかったのね。すると特権階級だった武士からは反発されたわけ。

その流れで大村益次郎は攘夷派士族に斬られちゃったりしてさ。

「やば・・・徴兵令難しいんじゃね??」

ってことになっちゃうわけ。

 

一回、国民皆兵の案は頓挫するんだけど、大村益次郎の意思を山縣有朋が引き継いで、

1872年11月にまず、徴兵告諭を出して、翌年3月、1873年3月に徴兵令を出すわけだね。

 

 

 

血税一揆

 

この徴兵令に反抗して各地では一揆が起きたよ。

徴兵告諭の中の「血税」という名前から血税一揆になったの。

1番大きかったのは、北条県の徴兵反対一揆で数万人が参加したんだね。

 

実際、徴兵令で3年間兵役につくのは、寝食も保証されてるし、米もいっぱい食べられるし!

ってことで人気だったらしいよ。ウケるよね。あんなに嫌がってて一揆まで起こしたのに、やってみてらなかなか良かったってさ。

まぁ兵役が良かったんじゃなくて、人々の暮らしはまだまだ豊かじゃなかった!ってことの表れかもしれないね。

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