昭和時代

学徒出陣と勤労動員(学徒動員)の違いとは?詳しく解説

太平洋戦争が進むにつれて、日本がどんどん劣勢に追い込まれていく様子はこれまで見てきたよね。

 

ミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いで、日本の兵が大きく失われることになった。つまり、兵力不足になってしまったんだ。

日本が戦争を続けるためには、当然兵士を増員しないといけないよね。

 

でも、もうすでに社会に出ている成人男性の多くは、いわゆる「赤紙」で徴兵されていた。

この状態でさらに兵を増やすために国がとった行動は・・・。

 

「大学生を徴兵する」「中高生や女性を強制的に働かせる」、というものだった。

 

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サイパン島の戦いと陥落、玉砕の意味とは?東京大空襲のきっかけ

さて、前回・前々回で太平洋戦争のターニングポイント、「ミッドウェー海戦」と「ガダルカナル島の戦い」を見てきたね。

 

この二つの戦いによって、日本軍とアメリカの力関係が完全に日本<アメリカに傾いたんだったよね。

日本の敗北はここからさらに加速していく。

 

なかでも今回見ていく「サイパン島」をめぐる戦いは、忘れられない“原爆投下”にも関係する重要な戦いだよ。

 

詳しく見ていこう。

 

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ガダルカナル島の戦いで多数の餓死者が・・・。連合軍優勢に。

ミッドウェー海戦の失敗で、大切な空母や航空機、パイロットを失ってしまった日本。

 

日本にとって「空母を失う」というのは本当にヤバいことだった。

というのも理由は簡単で、日本には資源がないから。

 

アメリカと比べるとモノもヒトも足りない状況で無理やり戦争しているような状況で、戦闘で一番重要ともいえる空母を失ってしまうのは本当に痛い損害だった。

 

ところで、日本にはこれに加えてもう一つ、とんでもない大損害を出してしまった戦いがあった。

それが、ガダルカナル島の戦い。

 

詳しく見ていこう。

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ミッドウェー海戦をわかりやすく!敗戦の理由と影響は?

マレー作戦、真珠湾攻撃に始まった太平洋戦争。

資源不足の日本にとって不利な戦いのハズだったんだけど、

 

いざフタを開けてみると真珠湾攻撃成功だったり・連合軍側の持っていたアジアの植民地(フィリピン・マレー・インドネシア・ビルマ)の占領成功だったりでガッツリ勝利を収めていた。

 

このような勝利を飾れたのは、日本は優れた操縦技術を持った航空部隊(パイロット)とそれを支える技術を持っていたからと言われている。

特に航空部隊ってのは重要。

 

第二次世界大戦では、戦艦同士が大砲ポンポン撃ち合うより、戦闘機や爆撃機での戦闘が主流だったからね。

 

しかし・・・。順調だったように見えた日本の進軍は、たった一つの作戦失敗で大きく狂ってしまう。

それが、「ミッドウェー海戦」だ。

 

ちょっと難しい言葉だったり内容だったりで疲れちゃうかもしれないけど、できるだけ簡単に説明するから頑張って!

 

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大東亜共栄圏とは?簡単にわかりやすく。

太平洋戦争を始めた日本はそのかたわら、アジアの国々に対しても働きかけをしていく。

 

当時アジアは、欧米諸国の植民地となっている場所が多かった。

言い方は悪いかもしれないけど、食い物にされていたって感じ。

 

そんな状況にあるアジア諸国に対して、日本はある標語を打ち出していった。

それが、「大東亜共栄圏」だ。

 

詳しく見ていこう。

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太平洋戦争の始まりとは?真珠湾攻撃が最初じゃない!?

太平洋戦争は、「日本が南部仏印進駐を行ったことによる日米関係の悪化」が原因、ということをこれまでの記事で見てきたね。

で、ハル・ノートが出されて日本はもう開戦するしかないなと考えたわけだ。

 

ただ、当時の日本はアメリカやイギリスなどと戦うために必要な「資源」がなかった。

特に石油だね。

 

マトモにやり合っても資源の差でいつかは負けてしまう。

だから日本は、「短期決戦」を選んだんだ。

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日ソ中立条約はなぜ結ばれた?その理由とは。

日本とソ連は、ノモンハン事件によって関係が非常に悪くなったよね。

おまけにソ連とドイツが不可侵条約を結んじゃったりしてね。

 

しかし複雑怪奇なもので、独ソ不可侵条約が結ばれた約2年後、今度は日本とソ連が条約を結ぶことになる

 

どうしてなのか、詳しく見ていこう。

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ABCD包囲網とハル・ノートで、太平洋戦争突入へ。

南部仏印進駐で冷えるところまで冷え切った日米関係。

アメリカから日本への石油輸出が全面的に禁止されるという強烈な経済制裁によって、日本は窮地に立たされたんだったね。

 

ところで、日本の南部仏印進駐に警戒感を持っていたのは何もアメリカだけじゃない。

前回の記事で、仏印の近くにはイギリスやオランダの植民地もある、と書いたよね。

 

当然この近くに日本軍が進駐したとなれば、イギリス・オランダは脅威に思うわけだ。

そしてこの国々が手を組んで、“日本を包囲”し始める。

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南部仏印進駐は、アメリカとの太平洋戦争「回帰不能点」。

日本は、ドイツがフランス侵攻を行ったことに付け込んで北部仏印進駐を果たした。

こうして援蒋ルートのひとつ・仏印ルートを使えなくすることに成功した。

 

ただ、援蒋ルート最後のひとつ、ビルマルートがまだ残っていた。

長引く日中戦争を終わらせるためにも、日本は援蒋ルートを一本残らず封じてしまいたかったので、ビルマルートに近い“南部”仏印進駐を計画し始めた。

 

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北部仏印進駐と日独伊三国同盟でアメリカとの関係がどんどん悪化

ノモンハン事件によって、北の方に侵略することが事実上不可能になったカタチの日本。

かといって当時の日本は、自分の国と満州の資源だけじゃ戦争を続けられない。

 

じゃあ、どうするか。

反対の南の方の国に行って資源を獲得していこう、と考えたわけだ。

 

これが、南進論とか南進政策って呼ばれる。

具体的には、フランス領となっているインドシナ。

 

この地域に軍を置いて、資源をゲットしようとした。

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